ドイツ好き集まれ(第13号:日独交流150周年)


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最終更新済み:2012年5月

日独交流150周年について
日独150周年 日本とドイツの交流は1861年1月24日(万延元年12月14日)に江戸で日本と当時のプロイセンが修好通商条約を調印して始まりました。その後ドイツ北部連邦諸国との間にも同様の条約が結ばれドイツとの間の全面的な関係に発展していきました。2011年は1861年に日独交流が始まって150年にあたります。
「日独交流150周年」のもと、ドイツと日本は2010年の10月から2012年の3月にかけ、多彩な記念行事や要人訪問を通じて150年に及ぶ交流の歴史を共に祝います。
なお本特集は11号の2012年4月更新の駐日ドイツ連邦共和国Dr.フォルカー・シュタンツェル大使の挨拶でひとまず終わりとします。
実は2012年5月11日に駐日ドイツ大使公邸にて日独交流150周年閉幕記念コンサートが行なわれましたので、これで最終更新とします。


日独交流150周年
日独交流150周年の幾つかのテーマについて
  • No.12 : 2012年5月11日日独交流150周年閉幕記念コンサート
  • No.11 : 2012年3月31日駐日ドイツ大使の日独150周年への挨拶
  • No.10 : 2012年3月訪独でメンヒ独日協会ボン名誉会長さんにお礼の挨拶
  • No.9 : 2012年2月昨年4月「友情の旅2011」で来川のメンヒ独日協会ボン名誉会長さんからCD写真集頂く
  • No.8 : 2011年ドイツのXmasマルクト_ドイツ観光局HPから
  • No.7 : 2011年10月23日〜28日 ヴルフドイツ連邦共和国大統領来日
  • No.6 : 2011年10月23日(日)東京:ドイツフェスティバル! 絆をつなごう、ドイツと日本
  • No.5 : 2011年6月21日〜25日 皇太子殿下のドイツご訪問
  • No.4 : 友情の旅2011について
  • No.3 : 2011年1月24日 「日独交流150周年」記念式典
  • No.2 : 2010年10月26日 「日独交流150周年」開幕
  • No.1 : 日独交流150周年について



  • 最終更新:2012年5月

    No.12 : 2012年5月11日日独交流150周年閉幕記念コンサート
    閉幕記念コンサート (駐日ドイツ大使館HPから)日独交流150周年の閉幕を記念したピアノコンサートが、交流事業の日本側名誉総裁を務められた皇太子殿下のご臨席の下、大使公邸内にて行われました。当日は、ドイツ国内外で活躍するロスヴィタ・ローマー氏(Roswitha Lohmer)により、シューベルト、シューマン、リスト等の曲が演奏されました。
    コンサート終了後のレセプションでは、浜田和幸外務大臣政務官によるスピーチ等が行われました。2010年10月16日に行われた東京横浜ドイツ学園でのオープニングから、約1年以上にわたり日本各地で実施された関連行事は、この閉幕コンサートも含めると計1009件にのぼります。

    この閉幕記念コンサートにあわせ、ガウク連邦大統領より、以下のメッセージが届けられました。
    ドイツ連邦共和国大統領 (注:2011年日独交流150周年で公式来日したクリスチャン・ヴルフ ドイツ連邦大統領は任期半ばで辞任しました。ドイツの大統領はいわゆる「連邦集会」において選出されます。連邦集会は、すべての連邦議会議員ならびに各州議会によって選ばれた同数の代議員により構成されます。そして2012年3月18日、ドイツ連邦議会本会議場で開催された第15回連邦集会において、旧東独(ドイツ民主共和国)の民主化運動出身のヨアヒム・ガウク氏が、ドイツ連邦共和国の第11代大統領に選出されました。ガウク氏の得票数は、有効投票1228票のうち80%弱に相当する991票でした。対立候補のベアーテ・クラースフェルト氏は126票、NPD(ドイツ国家民主党)が擁立した候補は3票でした。)
    ガウク大統領から皇太子殿下への書簡(訳文)
    ベルリン 2012年4月26日
    日本国 皇太子殿下
    大統領府ベルビュー宮殿から外を眺めますと、殿下が私の前任者とともに植樹されました桜の木が目に入ります。ちょうど今、その花が初めての満開を迎え咲き誇っています。その美しさを殿下にもお伝えいたしたく筆をとりました。現在、ベルリンを含むドイツの他の場所においても、桜の花が人々を楽しませています。それらの多くは、私たちの国の再統一に対する喜びを表すため、貴国から寄贈され植樹されたものです。
    これらの木々は、両国民の結びつきの深さを物語っています。この結びつきは、昨年3月11日の震災後における困難な時期にも揺らぐことはありませんでした。日本国民の皆様の素晴らしい団結力、忍耐力、復旧復興への意志には瞠目させられます。私たちは、今後も日本の方々の傍らに寄り添ってまいります。
    諸大陸を挟み互いに遠く離れた関係においてこれほどまでに絆が強いのは、自明のことではありません。ドイツと日本を結ぶこの絆は、五世代をかけ育まれてきました。1861年の修好通商航海条約では、両国民の「永久の懇親」が謳われています。それから150年となる節目の年、日本だけでも約一千件にのぼる記念行事が実施され、多岐にわたる両国の友好関係を祝う一年となりました。その際、若い世代に相手国の魅力を知ってもらうことに重点が置かれました。ドイツのロックバンド「トキオ・ホテル」が、その名の由来となった大都市東京で果たした昨年の初公演、ドイツ人コミックアーティストと日本人漫画家のインターネットでの作品の掲載と交流等がその一例です。
    樹木と言えば、無論のこと、殿下が私の前任者とともに昨年都内の有栖川宮記念公園にて記念植樹を行われたドイツ菩提樹が思い起こされます。ドイツと日本の友好関係150周年を節目とする一連の行事は間もなく終了しますが、両国国民の絶えることなき関係発展にむけた私たちの取組みは、今後も続いていきます。この友好関係が、今後、一層の成長と繁栄を経て、多数の花を咲かせることを願ってやみません。
    敬具
    ドイツ連邦共和国大統領 ヨアヒム・ガウク

    再度駐日ドイツ連邦共和国大使 フォルカー・シュタンツェル大使の「日独交流150周年を終えて」の挨拶訳文です。
    1861年1月24日、ドイツと日本は、条約を締結し外交関係を開設しました。これを記念し、私たちは12か月以上にわたり日本各地で計1009件の行事を実施しながら、両国関係の特色について考えを巡らせてきました。実施された行事には、伝統的な演奏会や展示会もあれば、学術シンポジウムやポップミュージック系のイベントもあり、斬新なインターネット・プロジェクトもありました。これだけ多数にのぼった多彩なイベントや活動の提案は、その9割以上が全国津々浦々の日本の方々から寄せられたものです。さまざまな経験をもたらしてくれた周年行事の閉幕を迎え、私たちは興味深く重要な認識を得ました。それは、日独両国関係を特徴づけているのは、必ずしも政府間の交流や伝統的要素ではないということです。日独関係は、むしろ市民社会や若い世代に支えられた関係なのです。
    私たちは、日独関係が、過去においても経済的・政治的要素というよりは(非常に初期の段階から)学術的・研究的要素によって規定づけられてきたことを知っています。こうした特徴は、明治時代半ばにまでさかのぼります。さらに言えば、日独関係に特別な政治的重要性があったことは、これまで一度もありませんでした。大まかに申し上げると、日本にとってのドイツの重要性は、ほとんどの時代、他の西洋諸国よりも低く、逆にドイツにとっても他国の優先順位のほうが日本よりも上でした。しかし同時に、双方の経済・社会の傾向における共通性の高さも歴然としていました。すなわち、ともに遅れて近代化を進めた国であり、その政治思想はいずれもリベラルというより保守的傾向が強く、ともに教育、学術、研究の推進を重視していました。こうしたことから、国の支援も受ける形で、驚くほど密度の濃い民間交流・学術交流が生まれたのです。
    ですから、これほど共通点の多い両国ならば、政治的にもより緊密な協力を進めるべきではないかとの問いが、度々投げかけられてきたのも不思議ではありません。しかし結論はいつも同じでした。すなわち両国は、非常に幅広い共通性があっても、具体的な政治的・戦略的問題となると協力は困難だということになったのです。
    これがはじめて浮き彫りになったのは19世紀末でした。当時、あらゆる国に先駆けていわゆる不平等条約の修正に取り組んだのは、ドイツでした。しかし、地域における米国の重要性が急速に高まり、さらに英国の影響も続くなか、日本にとっては(資源供給に関する国益を損なわないという理由一つとっても)この両国との協力のほうが、ますます有用性を増していったのです。他方ドイツにとり、東アジアにおける潜在的な連携相手よりも、例えばロシアとの関係を重視するのは自然なことでした。第一次世界大戦後、ドイツの国力が弱く、アジアにおいて何ら特別な役割を持ち得なかった時期も似たような状況でした。驚くべきことに、ファシズムの時代ですら状況は変わりませんでした。このころになると確かに、両国のエリート層や政治家、そして市民社会の間でも、緊密な交流が持続的に進められ、そればかりでなく世界観的領域ではさらに強化されていきました。しかしそれでも(学術分野に加え)重視されたのは、日本にとり手本となったドイツ経済の当初からの軍需産業志向など、一部の実践的領域に限られていたのです。侵略路線を進んだ日独両国政府の間で、戦争戦略が、具体的活用を目的として協議されたことは一度もありませんでした(枢軸国協定すら同様で、これはどちらかというとイデオロギー的側面が強かったのです)。
    そして第二次世界大戦後になると、政治的な協力を推進する理由はいよいよ薄れていきました。「経済の奇跡」・高度成長を経験した両国ですから、もちろん経済面は別です。しかし冷戦が欧州を支配し、米中の対立、朝鮮戦争、後にはベトナム戦争が東アジアを席巻していく状況において、日独両国が政治的に協力し、取り組んで意義がありそうなことは、何も生じませんでした。私たちがよく耳にし、自分でも口にしたことがあるかもしれない言い回し「日独関係は良好である。良好すぎて退屈なほどだ。」は、おそらくこのころ生まれたのでしょう。
    さてここで、日独両国の政治的・戦略的関係の潜在的重要性に関する従来からの問いを、新たに提起しなおしてみましょう。急激に変化する世界において、私たちは、どのような理念を持てば持続的に確かな未来を築いていけるのか。そしてその取り組みを、あるいは協力してすすめたほうがよいのだろうか。ドイツと日本は、成熟したミドルパワーです。世界でも一定の影響力を持つ先進国です。しかし、影響力を行使するよりもまず、グローバルな情勢に左右される度合いのほうが、はるかに大きいのです。両国は、民主主義、自由、市場経済、法の支配、平和的な利害調整といった共通の価値観を標榜しています。国際社会における利益に関しても状況は似ており、両国は、平和と法的安定性が確保された環境を必要としています。それは、自由な貿易が可能で、グローバルな資源ナショナリズムやエネルギー不足、ましてや深刻な世界金融危機に脅かされないような環境です。気候変動は両国共通の脅威ですし、両国とも国際テロリズム、移民、組織犯罪、いわゆる「地球公共財」の保全といった問題に取り組み、新興諸国BRICSの台頭も両国に課題をつきつけています。
    こうしてみますと、一見、両国が政治レベルでも結束し、新しい課題をよりよく乗り越えていくにはどうすべきか、共通の戦略を練るのが理にかなっているように思えます。実りある協力は双方の利益となるでしょう。しかしここでも、両国の優先事項には違いがあることが見てとれます。例えば、大きな隣国である中国の発展は、日本にとり、経済だけでなく政治の面でも決定的に重要です。同じことが、ドイツからみたEU、あるいは中東について言えます。そして仮に、ミドルパワーである両国による協力の戦略的必要性があったとしても、往々にしてよりアクチュアルで、両国にとりそれぞれ別の問題が、より重要な課題として扱われてしまうものなのです。
    このような状況のなか、私たちはどう行動すべきでしょうか。それでも理にかなっていると思われること、つまり両国間の真の戦略的協力の推進を試みるべきでしょうか。あるいは「日独交流150周年」を通じ、両国関係の基本的特徴として観察してきたことに限定すべきでしょうか。すなわち、両国の市民社会は極めて実りある形で相互理解を進めており、大学・学術分野や経済連携についても同様であり、最先端技術分野でも緊密で実りある連携が実現しています。それで十分ではないのでしょうか。
    「日独交流150周年」が閉幕した機会をとらえた暫しの考察としては、こうした問いを提起するにとどめておきましょう。まずは、両国が進むべき道をともに探るための新たな機会を作ることです。この作業には時間をかけねばなりません。これらの問いはそれだけ重要なのです。





    最終更新:2012年4月

    No.11 : 2012年3月31日駐日ドイツ大使の日独150周年への挨拶
    駐日ドイツ連邦共和国大使 「日独交流150周年」のもと、ドイツと日本は、2010年10月より多彩な記念行事や要人訪問を通じて、150年に及ぶ交流の歴史を共に祝い、両国の絆を再確認して参りました。
    折りしも2011年3月11日に発生した東日本大震災は、筆舌に尽くし難い哀しみと衝撃ではありましたが、一方で、ドイツの一般市民・市民団体、企業、自治体、連邦政府、各地の独日協会など、これまで長年培われてきた両国の絆を礎に、さまざまな被災地支援が具体的な形として表れました。
    日独の友好関係の歴史は、1861年1月24日に結ばれた修好・通商・航海条約にさかのぼります。
    一方で、シーボルトや森鴎外に代表されるように、個々のドイツ人と日本人が、未知なる分野への好奇心から互いの理念や精神を理解しようとした市民社会レベル・非政府レベルの交流が古くから多く存在し、今日まで続く日独交流の根幹を成しています。
    今回の一連の記念行事も、市民による市民のための催しが中心となりました。中でもクライマックスとなったのは、2万人を超える方々にご来場いただき、日独交流150周年の名誉総裁であるヴルフ前ドイツ大統領と皇太子殿下ご臨席の下、2011年10月23日に有栖川宮記念公園及びドイツ大使館にて実施された「ドイツフェスティバル―絆をつなごう ドイツと日本」です。このフェスティバルでは、両名誉総裁により1本の菩提樹が公園内に植樹されました。また、文化、グルメなど盛り沢山の内容で、日本で活動するドイツ企業の展示も行われ、収益金の一部は東日本大震災の被災者支援のために寄付されました。
    その他の主な催しとしては、東京都現代美術館で行われた「ゼロ時代のベルリン」展、バイエルン国立歌劇場日本公演、日独マンガ交流プロジェクト「日マン独」、エッセンの演劇グループ「ゼブラ」と南山大学の日独共同演劇プロジェクト、ドイツ語オーディオ・ビデオコンテスト「Hertz und Pixel」他、数々の学術シンポジウム、日独協会の皆様のご協力による168本もの菩提樹の植樹、そして2011年1月24日、皇太子殿下のご臨席を賜り、ベルント・ノイマン連邦首相府国務大臣(文化・メディア担当)も出席して開催された日独外交関係開設150周年記念式典が挙げられます。
    「日独交流150周年」は今春をもって閉幕いたしますが、これは終わりを意味するのではなく、両国の更なる絆を深める新たな幕開けであり、お互いの理解と関心が今後も育まれていくよう願っております。
    最後に、本事業を支えてくださった多くの方々に心より感謝申し上げます。
    2012年3月31日
    駐日ドイツ連邦共和国大使
    フォルカー・シュタンツェル




    最終更新:2012年5月

    No.10 : 昨年4月来川のメンヒ独日協会ボン名誉会長さんに訪独でお礼の挨拶
    昨2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震、それに続く福島原発問題による東日本大震災の風評は世界を駆け巡り日本への渡航はほとんど禁止されました。しかし困っているときこそ友達は友達として助けるべきとの事で若干団体は縮小されましたが、4月12日の成田空港到着から、28日の関西空港からの離日まで日本各地の日独協会や日独の市民団体との深い交流を行ないました。ここ埼玉県川越市にも4月15日午後から来川いただき市民との市内散策から市長参列しての川越市役所での夕食会と非常に大きな足跡を残して行ってくれました。4月15-16日のドイツ人一行の「友情の旅 2011」川越編はここをクリックして下さい。
    その時一緒に川越市市街の案内で知り合ったのが独日協会ボン名誉会長であるマリアンヌ・メンヒさんで、移動のバスと歓迎夕食会でともにお隣に坐ったのが独日協会ケルンのベッティーナ・アデナウア-ビーバシュタインさん(第二次世界大戦直後、ドイツ連邦共和国創立当時のコンラート・アデナウアー初代首相のお孫さんで、バスの中でケルン市の日本語ガイドブックをいただきました)です。今回商用でアウグスブルク、ケルン郊外、ハンブルク、リューベック、ゲッティンゲンとドイツの都市を3月14日から23日まで回る関係で週末に時間をとれるボン市及びケルン市のお2人と連絡を取りました。アデナウアーさんは3月一杯ご主人とアジアに来ておりドイツではお会いできませんが、メンヒさんからは受諾のお返事をいただきました。そして3月に入り日本語のボン市内図まで送っていただきました。なお来日したボンのProf. Dr.マイゼご夫妻のうち奥様のバーバラ・マイゼさんも今回メンヒさんと一緒にお付き合いしてくれる事になりました。3月17日(土)朝ケルンからボンへ列車で移動し、駅のホームにて日本の国旗を持ったマイゼさんの出迎えを受けました。メンヒさんの運転する車で、歩行者天国の市街地まで案内していただき、マイゼさんと聖マルティン・ミュンスター聖堂とロマネスク様式のその回廊を歩き、ボン大学本館、旧市庁舎前を通りベートベンの生家を見学しました。その後また歩行者天国の外の環状道路でメンヒさんの車に乗せていただき、ライン河沿いの素敵なレストランで昼食をご馳走になりました。大きな船がライン河を上下していました。その後ボン市南西の郊外アール渓谷までドライブしてドイツ赤ワインの村の一つデルナウを見てお店で赤ワイをン試飲して1本購入してきました。アール渓谷の上空を冷たい風が吹き抜け谷底の村々では温暖気候で急な斜面にブドウを植えドイツワインの生産地になっています。その後ボン市内のマイゼ宅でご主人も入れてゆっくりとケーキとコーヒーをご馳走になり夕方予約したボン駅そばのホテルまで連れていってもらいました。楽しい一時を過し、また手際よくボンを見せていただきました。ボンは大学の町でベートーベンの町とのこと。さらにドイツではお仕事はケルンで住まいはボンでとも言われているそうです。お礼を言うつもりがお土産もいただきかえってお世話になってしまったようです。でも本当に楽しい一日を過しました。有難うございました。
    下の写真は2011年4月来川した時の写真です。左から買物中と歓迎夕食会で挨拶のマリアンネ・メンヒさん。お隣に坐ったベッティーナ・アデナウアーさんです。

    2011年4月来川の独日協会の皆様

    下の写真は2012年3月の訪独時です。左から聖マルティン・ミュンスター聖堂、ベートーベン・ハウス ボン、レストランの前のメンヒさんとマイゼさん
    2012年3月訪独時のボン1

    続いて左からパノラマ写真はメンヒさンマイゼさんとアール渓谷の底の村です。右はティータイムを楽しむメンヒさんとマイゼさんご夫妻
    2012年3月訪独時のボン2




    最終更新:2012年2月

    No.9 : 2012年2月昨年4月「友情の旅2011」で来川のメンヒ独日協会ボン名誉会長さんからCD写真集頂く
    CD 2011年4月に来川して知り合いとなりましたマリアンヌ・メンヒ独日協会ボン名誉会長さんから「友情の旅2011」で来日した時の写真集のうち川越編が集録されたCDを2012年2月に送っていただきました。早速見させていただきましたが非常に素晴らしく、今回HPにスライド形式でアップロードしました。なお封筒の切手には日独150周年を記念したドイツの切手も貼ってありました。
    そのスライドショーを見たい方はここをクリックして下さい。






    最終更新:2011年12月

    No.8 : 2011年ドイツのXmasマルクト_ドイツ観光局HPから
    12月に訪独した人はドイツ各地におけるXmasマルクトに圧倒されます。町の中心部で一般に教会を中心にをイルミネーションでかざりXmasを祝います。特にGlühwein(直訳は燃えるようなワインですが、グリューヴァインと言ってお燗した甘く香料入りの赤ワインでこのXmasシーズンの飲物です。)は町によってはその年の年号と町の名前が入ったグラスにて販売しますので、EURO1程度の安いワイングラスですがそのグラスは購入すれば記念になります。夜のイルミネーション見学には冷えた体を温める非常に美味しい飲物です。
    ドイツ観光局HPでは今年も以下の14都市の写真が掲載されました。そのスライドショーを見たい方はここをクリックして下さい。
    Berlin, Magdeburg, Hann Münden, Rühdesheim, Dresden, Rotenburg, Deidesheim, Aachen
    Würzburg, Münster, Speyer, Ludwirsburg, Kempten, Dortmund




     

    最終更新:2011年11月

    No.7 : ヴルフドイツ連邦共和国大統領来日
    クリスチャン・ヴルフ ドイツ連邦共和国大統領は2011年10月23日から28日まで日本を公式訪問されました。10月23日にはドイツフェスティバルも視察して皇太子殿下とともにドイツから持ってきました菩提樹の植樹を行ないました。主な日程や写真を掲載します。
    本原稿は在日ドイツ大使館の日本語版HPの大統領来日特集ページを参照しています。

    クリスチャン・ヴルフ ドイツ連邦共和国大統領の来日中の日程
    ・ 10月23日(日) : ドイツフェスティバル-絆をつなごう ドイツと日本を視察、植樹
    ・ 10月24日(月) : 天皇陛下とご会見や日独首脳会談他
    ・ 10月25日(火) : 筑波大学で講演、いわき市訪問津波被災及び復旧状況視察
    ・ 10月26日(水) : 伊勢神宮参拝
    ・ 10月27日(木) : 鳴門市ドイツ館視察及び板東捕虜収容所跡地で献花
    ・ 10月28日(金) : 離日ドイツへ帰国
    下記は幾つかの写真による記録です。

    ドイツ大統領来日1
    左から来日、ドイツフェスティバルでなでしこジャパンとサッカーゴール競争、皇太子殿下と植樹

    ドイツ大統領来日2
    左から天皇陛下とご会見、つくば大学での講演、いわき市被災地ご訪問

    ドイツ大統領来日3
    左から伊勢神宮のご参拝、板東捕虜収容所跡地での献花、離日




    最終更新:2011年10月

    ドイツフェスティバル No.6 : ドイツフェスティバル! 絆をつなごう、ドイツと日本
    日独交流150周年を記念して、2011年10月23日(日)ドイツ大使館(広尾)の敷地、向かいの有栖川宮記念公園とその間を結ぶ一帯を会場に、ドイツフェスティバルが開催されました。どなたも自由に参加できますとのことで約2万人が来たとの情報がありました。
    本原稿はゲーテインスティテュート ドイツ文化センター製作のHP、あるいは駐日ドイツ大使館のHPを参照しています。


    プロイセンドイツが観た幕末日本の編纂者セバスチャン・サーラさん 2011年10月23日(日)曇り、晴れ ドイツフェスティバル
    筆者もドイツ好きの一人として、今回のドイツフェスティバルは見逃す事が出来ず朝早くから出かけ広尾の有栖川宮記念公園に着いたときはまだ11時前でしたが、若者からお年寄りまですでに沢山の人がイベント会場の広場に集まり、既に始まっていた屋台からBratwurst焼きソーセージあるいはBockwurstゆでサーセージをおつまみにドイツビールで乾杯している人もいました。この広場での開会式は12時からとのことで、既にドイツ大使館はオープンしており大使館内部や外部を見学しました。ここ大使館の庭ではドイツ文化センタ(ゲーテ・インスティテュート)、ドイツ学術交流会(DAAD)、ドイツ東洋文化研究協会(OAG)、ドイツ科学イノベーションフォーラム(DWIH)のブースや食のスタンドがありました。特にOAGが出版した日独英三ヶ国語の「プロイセン・ドイツが観た幕末日本 オイレンブルク遠征団が残した版画、素描、写真」は10月19日に出版されたばかりで、オイレンブルク伯爵と同じ洋服の編纂者セバスチャン・ドブソン・スヴェン・サーラさんが写真のような素敵な服でしかも日本語で本の紹介をしていました。392ページ、カラー写真188枚という大型のハードカバの本です。詳細はOAG出版物を参照して下さい。大使館の庭では電気自動車のほかドイツチェーンソーメーカによる天然木から電動工具で彫って素敵なアートも実物で製作していました。また公園の方では日独両国の関係社が協力し、ベンツやVWの自動車メーカ、LHあるいはドイツ観光局(DZT)などがさまざまなスタンドを用意していました。
    午後12時から有栖川宮記念公園メインステージでドイツフェスティバルの開会式が行なわれ、ゲーテ・インスティテュート総裁のクラウス=ディータ・レーマン博士、東京都港区武井区長、在日ドイツ連邦共和国フォルカ・シュタンツェル大使の挨拶がありました。特にドイツ大使は日本語が上手(京都大学に3年間留学)でビックリでした。正午から太陽も顔をだし今日のフェスティバルを祝福してくれました。日本のちんどん屋さんもこのフェスティバルに参加していましたし、メインステージでは音楽など沢山の催しも行なわれました。なおドイツ連邦共和国クリスチャン・ヴルフ大統領、及び日本の皇太子殿下は午後4時過ぎに来場し、ドイツからもって来た菩提樹の植樹を行なうとのことでしたが、残念ながら筆者は時間の関係で途中から会場を退出しました。
    下1枚目の写真は筆者撮影の開会式でのドイツ大使、下2枚目の写真は植樹中のドイツ大統領と皇太子殿下です。植樹時には筆者は居ませんでしたのでこの写真はドイツ大使館掲載のHPから掲載しました。


    開会式での在日ドイツ大使

    植樹中のドイツ大統領と皇太子殿下


    ドイツフェスティバル前日までの予定表
    会場は11時にオープン、12時にはフォルカー・シュタンツェル駐日ドイツ連邦共和国大使とゲーテ・インスティトゥート総裁クラウス=ディーター・レーマン博士が開会式を行います。
    なお、日独交流150周年を記念してクリスティアン・ヴルフ ドイツ連邦共和国大統領も同フェスティバルに来場し、有栖川記念公園内で菩提樹の記念植樹を行なう予定です。当日のプログラムの予定は下記の通りですが、変更もあります。

    11:00   フェスティバル会場オープン
     ・ 本場ドイツ料理の屋台
     ・ こどもプログラム
     ・ アートコンペティション(展覧会)「こちらへ、あちらへ」
     ・ CHINDON池田屋
     ・ のっぽ人形や大道芸

    12:00  ステージ・プログラム開始
     ・ (コンサート)ヤング・ユーロ・クラシック
     ・ ヨーデル北川桜
     ・ クラシックダンス
     ・ 日本人ドイツ人カップルの結婚式

    時間未定   クリスティアン・ヴルフドイツ連邦共和国大統領のご挨拶

    17:30  夜のプログラム
     ・ (コンサート)シャナドゥー
     ・ (コンサート)ギズベルト・ツー・クヌビハウゼン
     ・ (コンサート)ブラックメール

    21:00  イベント終了

    ドイツフェスティバルの日本語ドイツ語パンフレッド




    最終更新:2011年7月

    No.5 : 皇太子殿下のドイツご訪問
    ドイツの皇太子殿下 日独交流150周年の日本側名誉総裁である皇太子殿下は関連行事ご出席のため2011年6月21日〜25日までドイツを公式訪問されました。
    本原稿は在日ドイツ大使館の日本語版HPから2011年6月21日ドイツ連邦大統領府プレスレリースを参照しています。

    クリスティアン・ヴルフ ドイツ連邦共和国大統領は、6月22日、ベルリンのベルビュー宮殿にて皇太子殿下と会談しました。来客記念帳への記帳に続き、約1時間にわたり懇談が行われました。大統領は震災後の大変な時期に皇太子殿下がドイツ訪問の招待に応じてくださったのは、日独関係をたいへん重視されていることのしるしであると述べました。
    大統領は、「日本が現下の困難な状況にあるなか、皇太子殿下を我が国にお迎えでき、大変光栄です。私たちはともに日独交流150周年の名誉総裁に就任しました。両国の長年にわたる緊密な交流は、困難なときにこそ真価を発揮するものです。日本はアジアにおいて我が国と価値観を共有するパートナーです」と述べました。
    大統領は皇太子殿下に対し、地震、津波、福島原発事故に見舞われた日本の人々の運命に対するドイツの深いお見舞いの気持ちを表明しました。大統領はすでに3月144日、在独日本国大使館を弔問に訪れています。
    皇太子殿下歓迎晩餐会にて ヴルフ大統領と皇太子殿下は懇談に引き続き、ベルビュー宮殿庭園において日本の桜の樹の植樹を行い、日独両国の緊密な絆と深い友情をアピールしました。
    同日晩には、ベルビュー宮殿において大統領主催皇太子殿下歓迎晩餐会が催され、日独交流に尽力する約100名の招待客が出席ました。
    左上の写真はクリスティアン・ヴルフ ドイツ連邦共和国大統領と6月22日ベルリンのベルビュー宮殿にての皇太子殿下で、右側の写真は皇太子殿下歓迎晩餐会における大統領と皇太子殿下です。
    歓迎晩餐会での大統領の挨拶の最後の部分です。 
    日本には、「来年のことを言えば鬼が笑う」という諺があると聞き及びました。しかしながら、私はここで敢えて予言を試みたいと思います。150年にわたる確固とした礎の上に築かれた日独両国の協力関係は、将来においても卓越した形で進展していくことでしょう。この度の皇太子殿下のご訪独はそれを象徴する意義深いご訪問であり、未来に向けた重要な一歩であります。ここに皆様と共に杯を挙げ、天皇陛下、皇太子殿下並びに皇族方のご健勝とご多幸、また、私たちが心から大切に思う日独両国の友好を祈念致したく存じます。




    最終更新:2011年5月

    No.4 : 友情の旅 2011について
    日独協会及び独日協会は日本及びドイツ国民が市民レベルで交流する団体です。そして3年ごとにお互いの国で「パートナー会議」を開きます。今年2011年は日独交流150周年でもあり、4月23-26日に奈良で「パートナー会議2011 in奈良」が開催されることは昨年既に計画されて「友情の旅 2011 “Freundschaftreise 2011” でその会議に来日することになっておりました。ところが3月11日の東北地方太平洋沖地震、それに続く福島原発問題による東日本大震災が今回の交流に水を差しました。しかし困っているときこそ友達は友達として助けるべきとの事で若干団体は縮小されましたが、4月12日の成田空港到着から、28日の関西空港からの離日まで日本各地の日独協会や日独の市民団体との深い交流を行ないました。ここ埼玉県川越市にも4月15日午後から来川いただき市民との市内散策から市長参列しての川越市役所での夕食会と非常に大きな足跡を残して行ってくれました。

    2010年独日連合協会は2011年4月23-26日に奈良で開催される「パートナー会議2011 in奈良」にあわせて「友情の旅2011 “Freundschaftreise 2011” でその会議に来日する事を決め会員を募集しました。
    本原稿はドイツの独日連合協会製作のHPを参照しています。
    4月15-16日のドイツ人一行の「友情の旅 2011」川越編ここをクリックして下さい。

    到着翌日の4月13日在日ドイツ大使館にて
    来日ドイツ人一行ドイツ大使館にて
    友情の旅 2011の地図及び日程
    友情の旅2011
    友情の旅 2011 日程表
    日付(曜日) 旅 行 の 内 容 宿泊地 協力団体
    2011/04/11(月) ドイツ フランクフルト空港出発 機中  ---   --- 
    2011/04/12(火) 日本 成田空港到着、その後東京見物 東  京 日独協会 東京
    2011/04/13(水) 東京見物。在日ドイツ連邦大使館訪問 東  京 日独協会 東京
    2011/04/14(木) 鎌倉、横浜見物 東  京 日独協会 湘南
    2011/04/15(金) 東京小金井、川越見物 川  越 姉妹都市OF
    2011/04/16(土) 川越、軽井沢、北軽井沢見物 北軽井沢 日独協会 群馬
    2011/04/17(日) 北軽井沢、松本見物 松  本 日独協会 長野
    2011/04/18(月) 松本見物後、高山へ移動 高  山  --- 
    2011/04/19(火) 高山、飛騨古川祭り見物 高  山  --- 
    2011/04/20(水) 飛騨古川祭り見物後金沢へ 金  沢 日独協会 北陸
    2011/04/21(木) 金沢見物 金  沢 日独協会 石川
    2011/04/22(金) 金沢見物後、加賀の那谷寺へ 山城旅館 日独協会 石川
    2011/04/23(土) 東尋坊、長浜見物 長  浜 姉妹都市
    2011/04/24(日) 長浜見物後、奈良へ「パートナー会議」 奈  良 日独協会 奈良
    2011/04/25(月) 「パートナー会議」 奈  良 日独協会 奈良
    2011/04/26(火) 奈良から長谷寺、室生寺へ 奈  良  --- 
    2011/04/27(水) 飛鳥見物後、関西国際空港へ 空港ホテル  --- 
    2011/04/28(木) 関空出発、同日フランクフルト空港着  ---   --- 




    最終更新:2011年5月

    No.3 : 「日独交流150周年」記念式典
    日独交流150周年記念式典 2011年1月24日(月)東京都港区の国立新美術館において日本側名誉総裁である皇太子殿下ご臨席のもと、日・プロイセン修好通商条約調印150周年記念式典が行なわれました。
    本原稿は在日ドイツ連邦共和国大使館製作のHPを参照しています。

    この日行われた記念式典には政治・経済・科学・文化など各界を代表するおよそ200人の方々が招かれました。式典冒頭、シュタンツェル大使は来賓の方々を前に歓迎の辞を述べ、日独交流150 周年のドイツ側名誉総裁のクリスティアン・ヴルフ連邦大統領のメッセージを読み上げました。
    記念式典には皇太子殿下がご出席され、日独交流150周年の日本側名誉総裁としてご挨拶されました。殿下がご挨拶をドイツ語で締めくくられたことは、出席者に深い印象を残しました。
    引き続き、ベルント・ノイマン連邦首相府文化メディア担当国務大臣や松本剛明外務副大臣もそれぞれ国の代表としてスピーチを行いました。
    日独関係は大勢の若い人達の熱意と活動に大いに支えられています。これは式典でも同様で、日独両国国歌斉唱、また、条約締結時を再現する寸劇などが東京横浜浜ドイツ学園の生徒たちによって披露されました。劇中、来賓席にいたオイレンブルク伯爵や徳川将軍家茂、老中主座の安藤信正、竹本図書頭など条約締結に係わった人たちの子孫の方々が紹介され、会場の人々を驚かせました。この他にも日本人の母親とドイツ人外交官を父親にもつピアニスト エリカ・ヘルツォークさんやジャズピアニストの大原保人さんによる演奏などがプログラムに彩りを添えました。
    会場の国立新美術館内のロビーでは、皇太子殿下に御覧いただこうと日独関係の過去と現在を結ぶ展示が行われました。御覧いただい たのは日・プロイセン修好通商条約のコピーとプロイセン使節団に所属したドイツ人画家アウグスト・ベルクによって描かれた江戸の風景画で、これらは 1861年当時の江戸の雰囲気をよく伝えているものです。また、使節団から将軍家茂に献上された、大変貴重な4つの「磁器透かし絵」が展示されました。歴 史的価値が高いグリム童話の初期のドイツ語および日本語版も展示され、カッセルにあるグリム博物館長をつとめるベルンハルト・ラウアー氏によって解説が行 われました。当日は、日独交流150周年を記念する日独共同切手の発行日にあたり、郵便事業株式会社の鍋倉眞一代表取締役社長から皇太子殿下、またノイマ ン国務大臣へ記念切手の贈呈が行われました。他にも、ドイツ人男性研究者と日本人女性研究者の学術論文が展示や、ドイツ大使館主催絵画コンテスト「わたし のドイツ」の入賞作品が展示され、皇太子殿下から直接言葉をかけられた受賞者の生徒たちは、緊張しながらもまたとない経験に大喜びの様子でした。




    最終更新:2011年5月

    No.2 : 「日独交流150周年」開幕
    日独交流150周年開幕 日独交流150周年」の開幕を告げるオープニングイベントが2010年10月16日(土)東京横浜ドイツ学園にて行われ、数千人にのぼる人々で会場は大いに盛り上がりました。
    12時から行われたオープニングセレモニーに は、コルネリア・ピーパー ドイツ外務省国務大臣、フォルカー・シュタンツェル大使が出席、日本側からは伴野豊外務副大臣と林文子横浜市長が出席しました。
    本原稿は在日ドイツ連邦共和国大使館製作のHPを参照しています。

    セレモニーの最後には、「日独交流150周年」を記念して特別に作られた巨大バウムクーヘンのケーキカットや、鏡割りならぬ「ビヤ樽割り」なども行われました。
    ドイツ各地の郷土料理のスタンドやドイツ学園の生徒の母親たちによるお手製のケーキが並ぶカフェは終始長蛇の列ができ、一方、屋外ステージでは、バンド演奏 や、「CUBE(球舞)」によるサッカーボールを使ったパフォーマンス、各種展示会やプレゼンテーションが終了時刻の18時まで絶え間なく行われ、最後に、 夕陽とともにドイツ学園の太鼓グループによる圧巻の和太鼓の妙技が披露でイベントが締めくくられました。
    会場は、大勢の多国籍な家族連れで賑い、まさに市民交流の絶好の場となりました。




    最終更新:2011年3月

    No.1 : 日独交流150周年について
    日本とドイツの交流は1861年1月24日(万延元年12月14日)に江戸で日本と当時のプロイセンが修好通商条約を調印して始まりました。その後ドイツ北部連邦諸国との間にも同様の条約が結ばれドイツとの間の全面的な関係に発展していきました。2011年は1861年に日独交流が始まって150年にあたります。
    本原稿は在ドイツ日本国大使館製作のHPを参照しています。


    2009年5月に麻生総理大臣(当時)とメルケル首相がベルリンで会談した際に、この記念すべき年を「日独交流150周年」として、これまで幅広い分野において協力・交流が進められてきた両国関係を更に発展させていくために各種の記念事業を行うことで合意しました。

    日独150周年ロゴ日独150周年の歴史
    日独間の交流は江戸時代に遡ります。ドイツ人医師のケンペル(1690年から3年滞在)やシーボルト(1823−28年、59−62年滞在)がオランダ商館関係者として長崎に滞在し、日本に西洋の知識を広める一助をなした他、帰国後には日本に関する紹介活動を行いました。1861年には江戸幕府による鎖国政策が放棄され、プロイセンとの間で友好通商航海条約が締結されました。明治時代に入ると、日本はドイツから法律や科学、芸術等の諸分野で知識を導入しました。伊藤博文が大日本帝国憲法の起草にあたってプロイセン憲法を参考にしたことは有名です。
    1914年に始まった第一次世界大戦においては、日本は日英同盟を理由にドイツに宣戦し、中国の山東半島に出兵して青島などドイツの租借地を占領しました。
    1930年代に入り日独関係は政治的に急速に接近しましたが、これはナチス・ドイツとの関係強化という不幸な側面を持つものでありました。1936年には日独防共協定が締結され、第二次世界大戦(1939ー45)が始まった後の1940年には日独伊三国軍事同盟へと発展しました。
    戦後は両国とも一時期連合軍の支配下におかれましたが、1951年には日本とドイツ連邦共和国(西独)との間で外交関係再開が合意されました。日本と西独は、戦後はともに奇跡的な経済復興を遂げて世界の中でも重要な地位を占めるに至り、日独関係もそれと共にますます緊密になっていきました。なお、日本とドイツ民主共和国(東独)との間にも、体制の違いからくる制約はあったものの、1973年に外交関係開設が合意されて、一定の交流が存在していました。1990年のドイツ統一によって、日本と東独の関係は、西独を中心とする全ドイツとの関係に統合されました。
    近年においては、要人往来等政府レベルのみならず、経済分野、知的交流分野等においても活発な交流が行われています。要人往来については、1993年の天皇皇后両陛下ドイツ御訪問、97年のヘルツォーク大統領(当時)の国賓訪日、シュレーダー首相(当時)の4度にわたる訪日(99年(公賓)、2000年(九州沖縄サミット)、2002年(サッカー・ワールドカップ)及び2004年12月)、ラウ大統領(当時)の公実賓訪日(2002年)、ケーラー大統領の「日本におけるドイツ年」開幕式典出席のための訪日(2005年4月)等が行われ、日本からは1999年の小渕総理(当時)、2000年の森総理(当時)、2003年4月及び8月に小泉総理(当時)の訪独が行われています。メルケル政権発足後は、2007年1月には安倍総理(当時)が訪独、6月には安倍総理(当時)がG8サミット等出席のため再び訪独し、ベルリンで日独首脳会談及び日・EU定期首脳協議が行われました。8月末には、メルケル首相が首相として初訪日し、安倍総理(当時)との間でG8議長国の引き継ぎを行いました。福田総理(当時)は08年6月初めに訪独し、メルケル首相との間で北海道洞爺湖サミットの重要なテーマとなる気候変動・エネルギー、アフリカ開発等の問題について有意義な意見交換を行い、7月にはメルケル首相がG8北海道洞爺湖サミット出席のため訪日し、福田総理(当時)との間で首脳会談を行いました。また、10月には北京ASEM首脳会合の際に、麻生総理とメルケル首相が首脳会談を行いました。2009年5月には麻生総理が訪独し、メルケル首相との首脳会談やケーラー大統領表敬を行ったほか、フンボルト大学で欧州政策に関するスピーチを行いました。また、鳩山総理とメルケル首相は9月にピッツバーグで初の顔合わせをしました。
    経済面においては、日独関係は依然緊密で、日本にとってドイツは欧州最大の貿易相手国です。ドイツにとって日本は長期に渡りアジア太平洋地域最大の貿易相手国でしたが、2002年に独中貿易量が日独貿易量を上回り、現在では中国に次ぐアジア第2位の貿易相手国で、投資関係についても、ドイツと日本は重要な相手先です。2008年のドイツの対日投資及び日本の対独投資は、共に前年比で大幅に増加しました。なお、2008年ハノーファー・メッセで日本はパートナー国となり、このメッセの公式開幕式には安倍元総理が総理特使として出席し、メルケル首相と会談した他、多くの日本企業がメッセに参加し、成功裡に終了しました。
    知的交流面においては、1985年に設立されたベルリン日独センターが、さまざまな活動を通じて日独間の知的交流を促進し、日独による国際協力の可能性を提言しています。2004年12月、2007年1月の日独首脳会談でも、日独知的交流の場としての同センターの一層の有効活用が合意されました。また、政府レベルでの関係強化と並行して「日独フォーラム」(1993年3月設立)などの対話の枠組もあります。青少年交流の分野においては、首脳レベルのイニシアティヴにより、2000年12月から両国間でワーキング・ホリデー制度が開始されており、多くの若者たちが両国間を行き来しています。
    ドイツにおける対日理解を一層高めるという観点から、1999年から2000年にかけ、「ドイツにおける日本年」としてドイツ全国で日本を総合的に紹介する行事が約900件行われました。2005年4月から06年3月には今度はドイツを日本に紹介するものとして「日本におけるドイツ年」が実施され、約1600件の事業が開催されました。また、2006年6・7月にドイツ各地で開催されたサッカー・ワールドカップは、日本においてドイツへの関心を高めるところとなりました。草の根レベルにおける日独関係も活発です。日本とドイツの間では、首都としての東京とベルリン、及び古都としての京都とケルン等65の都市・地域の間で姉妹都市交流が行われています。また、ドイツにおいて日本語を教えている初等・中等教育機関の数は、1993年に34であったが、2008年には63に増加しています。更に、ドイツには独日協会が59、日本には日独協会が54設立され、市民による活発な活動が行われています。
    2009年5月の日独首脳会談では、2011年を両国で「日独交流150周年」とし、日独関係を大いに盛り上げる契機としていくことが確認されました。「日独交流150周年」が、多くの方々の参加を得て、日独関係の歴史に残る素晴らしいものになることを期待しております。



    外務省発行の日独交流150周年カタログ

    日本の外務省発行の「日独交流150周年」のカタログも2011年1月に発行されました。

    日本の外務省発行の「日独交流150周年」のカタログ