サッカー好き集まれ(第7号:ユーロ2004ポルトガル特集)
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最終更新 : 2004年7月
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2002年W杯日韓大会はここをクリック
2006年W杯ドイツ大会はここをクリック
2010年W杯南アフリカ大会はここをクリック
第13号 : ギリシャの初優勝(7月4日)
ギリシャの初優勝(7月4日) |
7月4日の決勝はホスト国ポルトガル対ギリシャ戦が行われました。試合は殆どポルトガルがボールを支配していましたが、ただ1回のコーナーキックのチャンスをものにしたギリシャが初優勝を納めました。観客がグランドに飛び出したりのハプニングで1点を追うポルトガルには不運でした。決定打がないというより非常に守備の堅いギリシャに負けたというのが正しいでしょう。大会を通して対戦したどのチームからも自軍の倍近いシュートをうたれながら守りきったと言えます。有名プレーヤは皆無でワンチャンスでも物にする集中力はすばらしいものがあります。守備専用では面白くないといわれますが勝てば官軍です。本大会のMVPはギリシャのMFザゴラキスに決まりました。パスの成功率はチーム1の確実さが売り物でしょう。また本大会はいろいろ初物がありました。まずギリシャはホスト国ポルトガルと前回優勝のフランスに勝ったこと。オットー・レーハーゲル監督はドイツ人で自国でない外国人監督による優勝も初めてです(といっても本大会参加の32チーム中10人が外国人監督でしたから自国でない監督の優勝確率は3割強でしたが)。 審判団はマルクス・メルク主審以下ドイツ人にて決勝戦は行われました。 次回欧州選手権2008はスイスとオーストリアの合同開催になります。サッカーファンには非常に楽しめた3週間でしたが、今年はまだこれからオリンピックサッカーもあります。また2006年ワールドカップドイツ大会の予選も行われます。頑張ってひいきを応援しましょう。
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第12号 : 続いてギリシャが決勝へ(7月1日)
続いてギリシャが決勝へ(7月1日) |
7月1日の準決勝第2試合ギリシャ対チェコ戦が行われました。試合はチェコ優勢でしたが決定打がなくそのままシルバーゴール方式の延長戦にもつれこみました。延長線前半ギルシャが終了間際のコーナーキックから得点しシルバーゴールで決着しました。4日の決勝戦は開幕戦と同じポルトガル対ギルシャです。 (一口メモです。念のために今回採用されたシルバーゴールとは、またゴールデンゴールとは?:先ず日本ではVゴールとして知られるゴールデンゴールについて、これはサッカーの延長戦の方式の1つで、引き分けになった場合に延長戦で前後半15分の試合を行い、その間にどちらかのチームに1点でも入ったらその時点で点を入れたほうの勝ちとなる方式で、日本で1993年にJリーグが導入された時に「Vゴール方式」として採用されました。その後国際大会などにも導入されました。当初はその場で決着がつくことから「サドンデス方式(英語の直訳で突然死)」とも言われていました。しかし意味がよくないために「Vゴール」と呼ばれるようになりました。しかし名称のようには国際的には人々に受け入れられずに、特にこの形式が残酷なものに映り国際的に大きな批判を呼んだのは、2002年のFIFA日韓ワールドカップ決勝トーナメントでの、スウェーデン対セネガル及びセネガル対トルコの試合でした。そのため欧州サッカー連盟(UEFA)では、2002-2003シーズンから欧州選手権などの主催大会でシルバーゴールという多少緩和した方式を採用するようにしました。さてこのシルバーゴール方式と言うのは引き分けで前後半15分の延長戦に入るのは同じです。但し点が入ってからは以下のように処理されます。1)前半終了時点で得点の多いチームが勝ちで、最初に点を入れたチームが勝つとは限りません。2)前半終了時点で同点または無得点の場合には、後半15分まで延長戦を継続します。3)後半戦を行った場合に後半終了時点で点の多いチームが勝ちになります。4)その後後半終了時でも同点だった場合は他の形式で決着を付けます。ほとんどPK戦、今大会でもPK戦で決着されました。)
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第11号 : まずポルトガルが決勝へ(6月30日)
まずポルトガルが決勝へ(6月30日) |
6月30日の準決勝第1試合ポルトガル対オランダ戦はポルトガルの非常に上手さがめだちました。オランダがなかなか好機を見つけられない時に、やはりポルトガルのフィーゴが攻撃の起点となり26分にロナウドがコーナキックを獲得しました。ゴール前に正確に蹴り上げたデコのボールにロナウドがヘッドを合わせ先制しました。オランドも39分にファン・ニステルローイのシュートが入ったがオフサイドで同点とはなりませんでした。後半またもポルトガルはコーナーキックから追加点を得ました。63分ファン・ニステルローイからの圧力をクリアしようとしてポルトガルのオウンゴールを導いただけで、結局オランダは決定的なチャンスをつかめずに1:2で敗退しました。ポルトガルは地元の利とはいえ主要大会で初めて決勝に進出しました。
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第10号 : 準決勝4チーム決定(6月28日)
準決勝4チーム決定(6月28日) |
6月24日のポルトガル対イングンド戦は好勝負となった。1:1で延長戦に入り再度の1:1によりPK戦に突入しました。イングランドはベッカム、ポルトガルはルイ・コスタが失敗したが結局ポルトガルが6:5PK戦勝ちとなりました。 6月25日のフランス対ギルシャ戦はスランスに切れがなくギリシャがフランスの2連覇を阻む1:0で勝つという番狂わせを演じました。 6月26日のスェーデン対オランダ戦は延長戦でもどちらも決定打に欠き2回目のPK戦になりました。オランダが5:4でPK戦勝ちとなり、実はオランダはPK戦には勝てないというジンクスに終止符をうちました。 6月27日のチェコ対デンマーク戦は前半はデンマークが有利に試合を進めましたがゴールに迫ることが少なく、逆に後半チェコに立て続けに3点を入れられ敗退しました。
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第9号 : ドイツ代表監督ルディー・フェーラー辞任(6月24日)
ドイツ代表監督ルディー・フェーラー辞任(6月24日) |
ユーロ2004ポルトガルで決勝リーグに進出できなかったドイツは代表監督ルディー・フェーラーが6月24日にドイツサッカー協会(DFB)のゲルハルト・マイヤー・フォルフェルダ会長と会談を行い、その後辞任することを発表しました。フェーラー監督は今回と同じく4年前のユーロ2000で決勝リーグに進出できなかったことから、ユーロ2000後に代表監督に就任しました。その間ワールドカップ2002年日韓大会ではブラジルに敗退しましたが決勝へ進出しました。フェーラー監督はワールドカップ2006年ドイツ大会終了までの契約を結んでいました。ドイツ・サッカー協会のフォルフェルダ会長によれば次期監督の人選については、まだフェーラー監督の辞任の対処中で名前はだせないとのことですが、早めに決めていかないとあと2年は非常に限られた期間で自国開催のワールドカップに間に合わなくなってしまうのではないかとドイツ頑張れの我々としては人事ながら非常に心配しています。
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第8号 : 準々決勝以降の予定が決定(6月24日)
準々決勝以降の予定が決定(6月24日) |
死のグループDではドイツが、Aではスペインが、Cではイタリアがそれぞれ敗退し決勝リーグ進出はなりませんでした。 現地時間6月23日のDグループの試合で決勝リーグ進出チームが決定しました。以下は決勝リーグの予定です。
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第7号 : 死のグループDでドイツの第3戦はチェコと1:2でグループリーグ敗退(2004年6月23日の試合)
死のグループDでドイツの第3戦はチェコと1:2でグループリーグ敗退 |
死のグループDでドイツの第3戦は既に2勝し決勝リーグ進出が決定しているチェコとリスボンのアルバラーデにて対戦。チェコはネドベドら主力を温存し、そのためドイツは前半21分にバラックの1点で先制したが直ぐにフリーキックで同点にされました。その後攻勢をかけ何度もチャンスがあったが結局後半に逆にチェコのバロッシュに押し込まれ1:2で敗退。同時間に行われていたオランドとラトビアはオランダのニステルローイが2ゴールし結局3:0で勝ちDグループ2位で決勝リーグ進出を果たしました。日本も同じですが、サッカーはやはり点取りがいないと勝負には勝てないようです。
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第6号 : 死のグループDでドイツの第2戦はラトビアと0:0ドロー(2004年6月19日の試合)
死のグループDでドイツの第2戦はラトビアと0:0ドロー |
2004年6月19日(土)現地時間でポルトのベッサで行なわれたドイツとラトビアの試合は後半にやっとリズムが出てきて試合を優位に進め猛攻のドイツでしたが、結局得点はできずに0:0のドローでした。(日本でも良く点取りがいないと言われますが今日のドイツはその通りの展開で、見ている方は非常に歯がゆく感じました。) ラトビアは初出場ではじめて勝ち点1を上げました。なおチェコは当日オランダに3:2で勝利し勝ち点6でDグループ首位です。ドイツは23日そのチェコと最終戦を戦いますがかなり厳しい状況です。
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第5号 : 死のグループDでドイツの初戦はオランドと1:1引き分け(2004年6月15日の試合)
死のグループDでドイツの初戦はオランドと1:1引き分け |
2004年6月15日(火)現地時間でポルトのエスタディオ・ド・ドラゴンで行なわれたドイツとオランダの試合は前半30分ドイツのトルステン・フリンクスが前評判通り活躍し、フリーキックに敵も味方も触れずにゴールに飛び込み1点先制しましたが、後半36分イギリスのマンチェスタユナイテッドで活躍しているオランダのファン・ニステルローイがゴールラインからのファン・デル・メイデのクロスボールをドイツのベルンスにシャツをつかまれていながらも、体をうまくひねりながらボレーを打ち1トップの責務を果たし1点を返し1:1の引き分けでした。予選通過の鍵を握るドイツのバラックは後半30分にイエローカードを受けてしまいました。なお同日ラトビアに2:1で逆転勝ちしたチェコが勝ち点3で首位にたちました。
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第4号 : 1次リーグ予想
1次リーグ予想 |
2004年6月6日ドイツ親善試合速報 ユーロ2004直前、ドイツの最後の親善試合が6月6日(日)行なわれ元ドイツ代表のマテウス監督に率いられたハンガリーに0-2で完敗しました。不安定な守りを突かれ6月15日(火)のユーロ2004オランダとの初戦に向けチームの立て直しが急務となっています。
組別予想 A組(スペイン・ポルトガル・ロシア・ギリシャ) 地元ポルトガルと隣のスペインが有力ですが、ギリシャは予選6組でスペインを抑えて1位で本大会に臨んでいます。
B組(フランス・イングランド・クロアチア・スイス) フランスとイングランドの双璧にクロアチアとスイスが挑みます。
C組(イタリア・デンマーク・スウェーデン・ブルガリア) 順当にいけばイタリアですが、他の3チームの力が拮抗しています。予選で3失点と堅い守りのスウェーデンは両サイドからの攻めが特長です。ブルガリアは伝統的にテクニックのある選手がそろっていますし、デンマークにはイタリアリーグセリエAのACミランのトマソンがいます。
D組(オランダ・ドイツ・チェコ・ラトピア) ドイツとオランダはともに世代交代にさしかかっています。ドイツは優勝して2006年地元開催のW杯に手ごたえをつかみたいところですが、若手ストライカが出てこないと苦戦を強いられます。オランダは相変らずの攻撃力を持っています。チェコには欧州最優秀選手に輝いたネドベドが中心です。今回は2002年日韓W杯3位のトルコを降して出場を決めたラトビアもおり、D組はかなりの波乱も予想されます。
主要国の予想
フランス:前人未踏の欧州選手権2連覇を狙うフランスは今回は中盤にて君臨するジダンが健在です。2002年日韓W杯では本番直前の負傷で痛々しい限りでしたが、2度と同じ失敗はしないでしょう。中盤より前はアンリ、ピセス、ビエラと同じイギリスリーグのアーセナル勢がそろっており、最終ラインの不安がなくなればヒョットしてか?
イタリア:トッティやデルピエロによる攻撃サッカーが見物ですが、トラパットーニ監督は守備的戦術を好むとかでどう戦うか?
イングランド:欧州選手権ではサッカーの母国と言われるイングランドも1968年の3位が最高では。ベッカムの右足によるロングパスに対してFWオーウェンや弱冠18才のルーニーがどう対処できるか。予選後の親善試合ではデンマーク、スウェーデンに敗退しており、エリクセン監督の手腕に期待か?
ポルトガル:1989年1991年の世界ユース選手権を制したフィーゴやルイコスタらは、国民の期待を背負った2002年日韓W杯では決勝トーナメントにもいけずに苦杯をなめ、今回が地元の利とともに年齢的に力を持って戦える最後の大会で、ロナウドやデコら若手とのコンビネーションに鍵があります。かって日本の磐田で監督をして日韓W杯でブラジルを優勝に導いたスコラリ監督の手腕か?
スペイン:レアル・マドリッドでスペインの至宝として活躍するラウルを中心に若手のフルナンドト−レスやモリエンテスらFWの活躍があれば1964年以来40年振りの優勝も可能か?一説ではスペイン伝統の4-2-3-1の布陣にサエス監督がどう答えるか?
オランダ:2002年日韓W杯に出場できなかったためかなりの期待を背負っているが、FWにはファンニステルロイ、クライファート、マカーイの3トップで1次リーグのD組乗り切れば一気に上位か?
ドイツ:最多優勝国も今一つ不安が残りFWクローゼやMFバラックにGKカーンの精神的支柱が功をなすか?ただし精神力だけでは1ヶ月の長丁場は通用しないのでは?
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第3号 : 1次リーグ組合せ
組・国名 |
欧州選手権出場回数 |
欧州選手権優勝回数 |
A組・スペイン A組・ポルトガル A組・ロシア A組・ギリシャ |
3大会連続7回目 3大会連続4回目 2大会ぶり8回目 6大会ぶり2回目 |
優勝1回   優勝1回   |
B組・フランス B組・イングランド B組・クロアチア B組・スイス |
4大会連続6回目 5大会連続7回目 2大会ぶり2回目 6大会ぶり2回目 |
優勝2回       |
C組・イタリア C組・デンマーク C組・スウェーデン C組・ブルガリア |
3大会連続6回目 6大会連続7回目 2大会連続3回目 6大会ぶり2回目 |
優勝1回 優勝1回     |
D組・オランダ D組・ドイツ D組・チェコ D組・ラトピア |
5大会連続7回目 9大会連続9回目 3大会ぶり6回目 初出場 |
優勝1回 優勝3回 優勝1回   |
第2号 : 欧州選手権の過去の戦績
開催年・国 |
決勝 |
3位決定戦(1984年からは準決勝) |
参加国数 |
1960年 フランス |
ソ連 2 - 1 ユーゴスラビア |
チェコスロバキア 2 - 0 フランス |
17 |
1964年 スペイン |
スペイン 2 - 1 ソ連 |
ハンガリー 3 - 1 デンマーク |
29 |
1968年 イタリア |
イタリア 1 - 1 ユーゴスラビア 再試合 イタリア 2 - 0 ユーゴスラビア |
イングランド 2 - 0 ソ連 |
31 |
1972年 ベルギー |
西ドイツ 3 - 0 ソ連 |
ベルギー 2 - 1 ハンガリー |
32 |
1976年 ユーゴスラビア |
チェコ 2 - 2 西ドイツ PK 5 - 3 |
オランダ 3 - 2 ユーゴスラビア |
32 |
1980年 イタリア |
西ドイツ 2 - 1 ベルギー |
チェコスロバキア 1 - 1 イタリア PK 9 - 8 |
32 |
1984年 フランス |
フランス 2 - 0 スペイン |
フランス 3 - 2 ポルトガル スペイン 1 - 1 デンマーク PK 5 - 4 |
32 |
1988年 西ドイツ |
オランダ 2 - 0 ソ連 |
オランダ 2 - 1 西ドイツ ソ連 2 - 0 イタリア |
32 |
1992年 スウェーデン |
デンマーク 2 - 0 ドイツ |
デンマーク 2 - 2 オランダ PK 5 - 4 ドイツ 3 - 2 スウェーデン |
33 |
1996年 イングランド |
ドイツ 2 - 1 チェコ |
チェコ 0 - 0 フランス PK 6 - 5 ドイツ 1 - 1 フランス PK 6 - 5
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48 |
2000年 オランダ・ベルギー |
フランス 2 - 1 イタリア |
フランス 2 - 1 ポルトガル イタリア 0 - 0 オランダ PK 3 - 1 |
51 |
第1号 : サッカー ユーロ2004とは
欧州選手権の歴史 |
第12回2004年ポルトガル大会 サッカーの欧州選手権「ユーロ2004」が6月12日(土)ポルトガルで開幕します。ワールドカップ(W杯)の中間年に4年に一度開催される大会には予選を勝ち抜いた16チームが出場し、7月4日(日)リスボンで行なわれる決勝までポルトガル国内の会場(北からブラガ、ギマラエス、ポルト、アベイロ、コインブラ、レイリア、リスボン、ローレ、ファロ)を舞台に欧州No.1をかけた戦いを展開します。連覇を狙うジダンのフランス、地元開催で初優勝を狙うポルトガル、攻撃サッカーのスペイン、伝統国のイングランドやイタリア、そして2006年W杯開催国のドイツなど、欧州最強をかけて選手のテクニックがぶつかります。
第1回1960年フランス大会 フランスサッカー協会事務局長のアンリ・ドロネーが欧州での国別ト−ナメントを提唱して当初欧州ネーションズ・カップと呼ばれ、後に欧州選手権と名前を変え、現在は簡単にユーロと呼ばれているこの大会は、別名で優勝トロフィには「アンリ・ドロネー杯」の名前が付けられヨーロッパのチームのみが戦う選手権です。第1回大会の1960年フランスには英国、イタリア、西ドイツが辞退して予定していた16ヶ国の参加が集まらず中止寸前でしたが、最終的には17ヶ国の参加が決まり予選が行なわれました。ノックアウト方式のホーム・アンド・アウエーで予選を行い準決勝以降を決勝大会(すなわち本戦は4ヶ国)としました。初代王座はソ連で、後の欧州最優秀選手に選ばれたGKヤシンの長身と身体能力でゴールを守りました。2位ユーゴスラビア、3位チェコスロバキアと東欧勢が上位を独占しました。なおフランスも決勝大会には進出しました。
第2回1964年スペイン大会 本大会もトーナメント方式で行なわれました。地元スペインが優勝しましたが、準優勝ソ連、3位ハンガリーと初期は東欧勢が安定した力を発揮しました。なお当時の世界冷戦の状態からスペインは共産圏のソ連とは決勝まで対戦しない組み合わせになっていました。
第3回1968年イタリア大会 本大会から欧州州選手権と名前を変え試合形式もグループリーグ方式に変わりました。同じく地元イタリアが決勝再試合の末、優勝を手にいれました。準優勝ユーゴスラビア、3位には1966年のW杯イングランド大会で優勝したイングランド、4位はソ連でした。
第4回1972年ベルギー大会 1970年代に入ると西ドイツが台頭し、特に本大会では「皇帝」の名前までつけられたリベロのフランツ・ベッケンバウア(彼は2006年W杯ドイツ大会組織委員会会長でもあります。)し、FW得点王ゲルト・ミューラー、守護神GKマイヤ等高い完成度でソ連を3-0で下し初優勝しました。3位はハンガリー、4位はベルギーでした。
第5回1976年ユーゴスラビア大会 西ドイツは決勝に進みましたが、チェコスロバキアと2-2後のPK戦の末、準優勝でした。3位はオランダ、4位はユーゴスラビアでした。
第6回1980年イタリア大会 本大会から決勝リーグは8ヶ国となり2グループに分かれ各グループの1位同士の決勝となりました。グループ1の西ドイツはGKにシューマッハそしてFWルンメニゲ等を擁し、予選から無敗で優勝しました。準優勝はベルギーでした。3位はチェコスロバキア、4位はイタリアでした。
第7回1984年フランス大会 前回優勝で1982年W杯でも2位であった西ドイツにはルディ・フェーラやギド・ブッフバルトが新しく加わった布陣でしたがプレイに精彩がなくリーグ予選に勝ち残れませんでした。そして西ドイツのベッケンバウアと並び欧州を代表するフランスのプラティニが「将軍」と称され活躍しスペインを破り開催国に初の栄誉をもたらしました。2度のハットトリックを含む全試合得点の活躍でした。
第8回1988年西ドイツ大会 皇帝ベッケンバウアが監督でユルゲン・クリンスマン等が入り、ルディー・フェラーも故障から復帰しましたが、西ドイツは地元開催でありながら準決勝でオランダに敗退しました。優勝したのはフリット、ファンバステン、ライカールトを中心として豊富な運動量と守備で他チームを圧倒した伏兵オランダでした。準優勝はソ連でした。
第9回1992年スウェーデン大会 ユーゴスラビアが内戦のため出場権を剥奪され、ソ連も1991年解体され独立国家共同体という名前での参加でした。ユーゴスラビアの代わりに予選で敗れたデンマークが急遽呼ばれ、決勝戦ではドイツを2-0で降し優勝をさらっていったためサッカー界は驚かされました。
第10回1996年イングランド大会 本大会から4チーム4グループの16ヶ国によりリーグ戦が行なわれ各グループの上位2チームが準々決勝を戦う方式が導入されました。地元イングランドが悲願の初優勝をねらいましたがドイツに準決勝でPK戦で敗退し、ドイツはビアホフの決勝ゴールでチェコを2-1で下し最多3度目の王者に輝きました。
第11回2000年オランダ・ベルギー大会 前回はオランダとベルギによる初の共同開催でフランスが1998年W杯フランス大会に続いてタイトルを獲得しました。決勝トーナメントから調子をあげたジダンが大活躍しました。2位はイタリアで、ドイツはグループAの予選で敗退しました。
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(本稿第1号から第4号は2004(平成16)年6月4日(金)毎日新聞企画特集「サッカー欧州選手権」よりの抜粋)
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