書きつけ、私の独り言集


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最終更新 : 2013年9月

書きつけ、私の独り言
徒然草作者 吉田兼好法師 今年2012(平成24)年3月に訪独した際にドイツの友人が気をきかせて約40年前(正確には39年で1973年1月中旬から4月下旬まで)に最初に出会った人達を呼んでいてくれました。もちろん会うのは40年ぶりではなく時々の訪独で会っていましたが、一同にかいして会うとなにかこみ上げてきました。やはり年をとってきたものだと実感しました。とはいえまだまだ頑張りたいものです。そのため私の独り言や気づいた事を書きつけておこうと思いました。
鎌倉時代の末期1330年から1331年ころに吉田兼好法師がまとめたたといわれる「徒然草」が直ぐにうかびました。全244段からなり、序段の書き出しに「つれづれなるままに...」=(手持ち無沙汰で何もやることがなくて...)書いたと述べています。しかし私の場合にはやる事があるのに、何か感動したり思った時に書きつけておこうと始めました。
なお右の絵は明治時代に菊池容斎が吉田兼好法師を書いたとのことです。いろいろな思いやメモなど書ければと思っています。
(2013年6月にNo.11まで新しく一気に書き始めましたが、何処まで続くかです。最近の言葉で言えばブログですが、私のはたまにしか書かないブログです。)


書き付け、私の独り言集 : 2012年春から

  • No.12 : 2013年6月(9月追記):高校卒業後50年後の同窓会
  • No.11 : 2012年6月:英国エリザベス女王即位60周年「ダイヤモンドジュビリー」
  • No.10 : 2012年6月6日:自然の奇跡、恵み:金星の太陽面通過
  • No.9 : 2012年6月4日:自然の奇跡、恵み:部分月食
  • No.8 : 2012年5月22日:東京スカイツリーオープン
  • No.7 : 2012年5月21日:自然の奇跡、恵み:金環日食
  • No.6 : 2012年5月:社会で生きていくための信頼
  • No.5 : 2012年5月18日:エリザベス女王夫妻主催の昼食会に出席、チャールズ皇太子夫妻主催の晩餐会に出席
  • No.4 : 2012年5月16日:天皇、皇后両陛下の訪英出発、エリザベス女王の即位60週年祝賀行事ご出席
  • No.3 : 2012年5月:今上天皇が皇太子の時1953年の訪英、エリザベス女王戴冠式出席
  • No.2 : 2012年4月:東京税関の事後調査について
  • No.1 : 2012年3月:昔の友人と会って思い出した事



  • 最終更新:2013年6月(9月追記)

    No.12 : 高校卒業後50年後の同窓会
    2013年5月28日(火)高校卒業後50年を迎える今年、幹事のご尽力で同窓会が行われました。まだ恩師も健在で昔を懐かしみながら再会を楽しんできました。


    本同窓会は随時開催で前回は平成23年5月でした。50年前はそれこそ前回の東京オリンピック開催前で景気も良く、卒業時は大学への進学も含め、大手企業への就職など皆進路が決まりました。先生は生徒の希望を聞きながら、かつ生徒の実力と大学や大手企業の案内を頼りに良く皆を導いてくれました。今更ながら感謝でいっぱいです。私は途中で転職したりでそのまま一生同じ仕事ではなかったですが、自分では精一杯生活してこられました。こうして写真を見てすぐ分かる人と分からない人がいます。当時の自分の学校での付き合いが分かるとともに、また皆様の歩んできた人生で人は変わっていくものと思いました。
    独り言:当時1クラス約50名でしたが、この年になると同級生の中の1割5名の方が召されたり消息不明でコンタクトできないと聞きました。時間の過ぎ去る早さを実感しましたが、残りの半数が出席してくれて楽しい会となりました。ただここ数十年来の日本経済不況から新卒の就職は希望通りは非常に難しくなり、下手をすれば学校をでてもバイトや派遣社員など不安定な状況での就職が多くなっている現在、このような状況下の生徒さんを思うと、その心の葛藤とまたご両親の苦労も大変だなと思いました。好景気ではなくてもせめて若者が本来の意味での職につける世でない事が、そして自分ではそれに対し何もできないじれったさにがっかりしています。




    最終更新:2012年6月

    No.11 : 英国エリザベス女王即位60周年「ダイヤモンドジュビリー」
    2012年6月9日(土)毎日新聞新聞朝刊の特集企画でエリザベス女王即位60周年記念イベントの最終のロンドンにおける6月2日から5日にかけての「ダイヤモンドジュビリー(ダイヤモンドの祝祭)」が行なわれた旨の記事と写真が掲載されました。本HPのNo.3、4、5も参照して下さい。 エリザベス女王とフィリップ殿下
    6月2日(土)記念行事初日は女王による伝統のダービー観戦。翌3日(日)は女王や王室メンバーがロンドン中心部のテームズ河を下るテームズ河ページェントが行なわれました。参加したボートやヨットは1000隻以上とのことでした。雨の降るあいにくの天気でも120万の市民が集まったそうです。4日(月)の夜はバッキンガム宮殿前での祝賀コンサート。最終日の5日(火)は宗教儀式が中心でロンドンのセントポール大聖堂で感謝礼拝が行なわれました。ウエストミンスター宮殿での昼食会後は馬車でバッキンガム宮殿まで移動しました。
    毎日新聞の本特集ページのコピを見たい方はここをクリックして下さい。
    独り言:イギリスのエリザベス女王の即位60周年のお祝いのイベントが春以降続いていましたが、これでほぼ終了しました。実は赤字の英国で非常に大きな出費となったようですが、王室はある金額は寄付でまかないたいとのことです。昨今は何かにつけ、先立つお金のことばかり言われます。確かにお金がなくては何も出来ませんがお金万能のような時代は嫌いです。




    最終更新:2012年6月8日

    No.10 : 自然の奇跡、恵み:金星の太陽面通過

    (6月6日付け読売新聞オンラインから)太陽の手前を金星が横切る珍しい天体現象「金星の太陽面通過」が、6日朝から午後にかけ、日本全国で観察されます。 金星の太陽面通過
    前回は8年前の2004年6月、日本では途中で日没となってしまいました。そして次回は105年後の2117年12月で、今回が今世紀最後の観察の機会となります。ただし東日本で台風3号の影響で天気が崩れ見られそうにありませんが、先月21日の金環日食に続く天体ショーで、現象の全経過を日本でも観察できます。東京では6日午前7時100分ごろ、小さな「ほくろ」のような金星が太陽面の北東側に現れ、北西側に向かって移動する。金星が再び太陽面の外に出るのは、約6時間半後の午後1時47分ごろとのことです。金星の経路は前回の金環日食と異なり日本国内のどこから見てもほぼ同じで、経過時間も前後1分程度しかずれません。スケッチでは地球の傾いている自転を考慮せずに北を上基準にした場合で金星が太陽を一直線に横切っていますが、地球の自転軸が傾いているために実際は太陽を金星が左から上の方へ動き又下がり(実際に地球上から見えるのは地球自転の関係で天頂が上になり)右へ抜けていきます。関東地区は台風3号の関係で曇りで見えませんでした。下の写真はインターネット上の岡山天体物理観測所が撮影した金星の太陽面通過の全経過から8枚ほど抜きとり合成しました。金星が左下から上にあがりまた右下にさがる様子が分かります。

    金星の太陽面通過の様子
    アメリカNASA提供の金星の太陽面通過の様子
    上の写真はアメリカNASA(航空宇宙局)が公表した太陽を横切る金星の様子です。原文はMultiple exposure image showing the path of the venus transit across the sun です。これはアメリカの衛星から取った写真ですので太陽の黒点などもリアルに表現されています。写真で太陽の上面を金星が横切っています。なおNASAのHPではさらにこの4000年の間に金星の太陽面通過は53回起こったそうです。やはり非常に珍しい天体現象ですね。

    金星の太陽面通過の原理
    (同じく6月6日MSN産経ニュースから一部抜粋)国立天文台によりますと、この「金星の太陽面通過」は、上記スケッチのように太陽と地球の間に金星が入り込みちょうど日本を含む地域位置が地球上の一直線の場所にあたります。 金星は地球の内側、すなわち太陽に近いところを公転しています。金星の軌道は地球の軌道から見ると、3.4°斜めに傾いているために、地球の軌道上でかつ金星の軌道が地球と太陽の間、太陽の方向に入ったときだけです。このため太陽、金星、地球が直線上に並ぶのは、およそ243年に4回だけで、105.5年、8年、121.5年、8年という周期(この周期は比較的安定していますが、その周期の中で中で起きる太陽面通過の回数や時期は時代により若干異なっているそうです)で繰り返すそうです。前回2004年6月8日に日本で観測できましたが、次は105年後の2117年12月11日だそうです。
    今年は太陽だけなく、いろいろな天体ショーが見られます。6月4日夜には月が地球の影に入る部分月食がありました。残念ながら関東地区で雲がかかり観察はできませんでしたが、地域によっては午後8時すぎに南東の空で満月の約4割が欠ける現象が見られました。時間で言えば午後8時は西日本では月食が始まった状態で月が昇リ始めます。そして8月14日には夜空に輝く金星が月に隠れる「金星食」が23年ぶりに見られます。午前2時40分ごろに金星が月の裏に隠れはじめ、午前3時半ごろに再び現れるとのことです。
    金星の太陽面通過に関連して...金星の日面通過に関するウィキペディアから抜粋
    金星の太陽面通過という現象が非常に珍しいことであるのは別にしても、科学的な興味がもたれていた理由は太陽系の大きさを測定できる可能性があるからだそうです。17世紀までは天文学者はそれぞれの惑星間の距離を地球と太陽の間の距離を1天文単位として計算できていましたが、そもそもこの1天文単位の絶対距離(キロメートルやマイルを単位として)は正確に分かっていませんでした。実はこの金星の太陽面通過の精密な観測はこの1天文単位の絶対的距離を測定する方法です。地球上の出来るだけ離れた観測地点で通過の開始及び終了時間を測定し、その2地点間のわずかの時間を違いを精密に測定します。すると地球の2地点間の距離が三角測量の原理で金星と太陽の間の距離を測定する物差しに使えます。19世紀までの太陽系の大きさを測定する唯一の手段で国際的なプロジェクトでこの金星の太陽面通過の観測が行なわれたそうです。
    17世紀ヨハネス・ケプラーが1631年の金星の太陽面通過を初めて予測したそうですが、正確ではなかったそうです。18世紀エドモンド・ハーレの提案で1761年と1769年の金星の太陽面通過を利用して世界に派遣されたそうです。19世紀1874年には欧米各国は世界70箇所以上に観測泰を派遣しました。実はこの時日本は金星の太陽面通過の全過程が観測可能な地域だったために、フランス、アメリカ、メキシコが観測泰を派遣しました。この1874年は明治7年で明治維新開国後間もない時期で明治政府も当初は観測隊の目的が理解できず困惑したようですが、最終的には観測隊を受入れました。フランスとアメリカは長崎、メキシコは横浜を拠点に観測を行ないました。フランス隊のヤンセン隊長は長崎の天候に不安を感じたため神戸にドラクルクの別働隊を派遣し、これに日本人留学生の清水誠も同行したそうです。神戸の諏訪山に拠点を設け観測を行ないました。そして清水誠(明治の初めに神戸でドイツから輸入した機械でマッチを作っていた人だそうです)は日本人で初めて、12月9日に金星の日面通過の写真を15枚撮影することに成功しました。この場所が現在の神戸諏訪山公園の「金星台」です。金星台の一角には円柱状の石碑があり、表面にフランス語、裏面に日本語で「金星過日測檢之處」と刻まれています。なおこの時アメリカ隊はウラジオストク隊とも協力しながら長崎とワシントン間、長崎と東京間それぞれの経度差観測も行い、これによって日本の正確な経度が初めて決定されたとも言われています。また8年後の1882年12月7日も金星の太陽面通過がありましたが、あいにく日本は夜間でした。そして8年前の2004年6月8日の日没の時間帯にもありました。そして2012年6月12日となったわけです。
    独り言:現在太陽の黒点の現象は活発でない時期と聞いていますが、本当に自然は何が起きても不思議ではないような気がします。特に天体ショーは派手ですが、一方天候に左右されるというつきもあります。今回も部分月食に続き見る事が出来ませんでした。確かに人間は自然界のある面では大きな存在になっていますが、お天気さえ変える事は出来ません。とはいえ想像以上の自然現象には素晴らしいの一言だったようです。見た方は納得でしょうが、天候不順で見られなかった方は後100年以上先のお話ですからやはり諦めましょう。なおこの105年の間に生存する方は金星の太陽面通過などのお話を聞くことなしに人生を終える訳ですから、例え見られなくてもその話題の渦中にいたことは幸せです。




    最終更新:2012年6月5日

    No.9 : 自然の奇跡、恵み:部分月食

    地球の影で月が部分的に欠けて見える「部分月食」が6月4日夜、日本全国で観測できます。 6月4日の部分月食
    (5月30日付け読売新聞オンラインから抜粋)今回は太陽、地球、月の順にほぼ一直線に並び、月は満月です。そして太陽の光を地球がさえぎりその影が満月に写ります。完全に地球の影が月に蔽いかぶされば、言い換えれば太陽の光が完全に地球でさえぎられれば、完全に真っ暗な皆既月食となりますが、少しずれますので部分的な月食になります。
    先日の日食では観察する地点によって月と太陽の位置関係が異なるため、太陽の欠け具合や欠ける時刻は場所によって異なりましたが、今回の月食では月自体に生じる影を観察することになるため、月の欠け具合はいつどこから見ても同じです。ただし、観察地点から見て月が地平線上に昇っていなければ月食も見られません。もし晴れていれば南東の空で午後6時59分ごろに月の右下が欠け始め、同9時7分ごろに月食は終わります。食の最大は同8時3分ごろで、満月の約38%が欠けた状態となるそうです。満月はおよそ1か月に1度起こりますが、毎回月食になるわけではなく、また起こっていても地球の反対側であれば見られないことを考慮すると、同一地点では月食は平均して1年に2回ほど観察できると言われます。2010年には日本から見られる月食が3回、2011年にも2回ありましたが、2012年に見られる月食は今度の6月4日の1回限りです。 東京の部分月食
    あいにく埼玉では雲がかかり部分月食は見られませんでしたが、日本気象協会によれば左の様に見えるそうです。

    独り言:折角の自然のショーも天気次第とは。でも相手が自然ですから諦めましょう。





    最終更新:2012年5月24日

    No.8 : 東京スカイツリーオープン
    東京スカイツリーは自立式電波等としては現在世界一の高さを誇ります。建設がこの東京の下町の押上地区に決まり、武蔵の台地に建設することから、高さも634m(むさし)に決まりました。
    東京スカイツリーの案内 (毎日新聞5月22日(火)企画特集版から抜粋)2003年まら関東地方は地上デジタル放送が開始されました。しかし東京周辺は高層ビルが立ち並び、既存の東京タワーからの電波では届きにくくなってきており600mクラスの電波塔になる新タワーの建設が望まれました。新タワー計画は2003年12月にNHKと民放5社が「在京6社新タワー推進プロジェクト」を発足させたことから始まりました。業平橋・押上地区に建設が決まり、土地の所有者である東武鉄道及び東京タワースカイツリー株式会社が中心となって計画を進めました。2006年11月には外観デザインが決まり、2008年7月から高さ634mという国内では前代未聞の建設難事業が担当の大手ゼネコンの大林組により開始されました。地下の基礎工事から、鉄骨積上げの特殊クレーンなど、さらに頂上のアンテナ用鉄塔はタワー中心部の空洞で組立て、ワイヤで引き上げて頂上に設置しました。最後にタワーの中心を貫く心柱を建設し、着工からわずか3年8ヵ月後の2012年2月に完成しました。この東京スカイツリーが建つ一帯は東京スカイツリータウンと呼ばれ、商業施設の東京ソラマチと地上31階のイーストタワー(この7階にはプラネタリウムもあります)も建設されました。東京スカイツリーの展望台は地上350mの展望デッキと450mの展望回廊があります。350mのp展望デッキまでは40人乗り高速エレベータで約50秒で到着です。ここからは計算では約70km先まで見通せるとのことです。そして5月22日(火)オープンしました。しかし風の影響をもろに受ける関係でオープン初日のエレベータのストップがありました、また天候が悪いと雲の中の展望台になるようです。
    東京スカイツリータウンの詳細はここをクリックして下さい。

    独り言:外観デザインは日本の伝統的建築のそり(線や面が上に向かっって凹に湾曲)むくり(線や面が上に向かっって凸に湾曲)が盛り込まれ、色は日本伝統の藍色と白色をベースにしているとのこと。照明は当然LEDで隅田川をイメージの淡いブルーの粋と江戸紫をベースに金箔をちりばめた雅が1日交替で点灯されるそうです。建築中は隣の浅草から外人さんと眺めましたが、一度は見に行って見ましょう。




    最終更新:2012年5月21日

    No.7 : 自然の奇跡、恵み:金環日食
    月が太陽と地球の間に入り、月が太陽光線をさえぎりあたかもリングのように輝く現象が「金環日食」です。2012年5月21日(月)朝九州南部から東北南部までの太平洋側の広い地域で見られます。日本では1987年9月に沖縄で観測されて以来25年ぶりとなるうえ、東京では173年ぶり、大阪では282年ぶり、名古屋では932年ぶりだそうです。
    日食の原理 東京の例 (毎日新聞5月17日(木)特集版から抜粋)左の図は日食の原理で、次は東京で日食を見る事ができる時間です。日食の原理は太陽、月、地球が一直線に並び、かつ地球から見て月が太陽の前を横切った時に起きる現象です。太陽の直径は約139万2000kmで、月の直径3476kmの約400倍です。一方太陽と地球との距離は約1.5億kmで、月と地球の距離約38万kmに対して、こちらもほぼ400倍です。このため地球から見ると太陽と月はほぼ同じ大きさに見えます。さらに月は地球の周りを約27日間で回っていますが、その回る軌道は円ではなくわずかに楕円なのです。このため月が地球に近い位置で太陽を隠すと月は太陽よりも大きき見えて、月が太陽を完全に隠してしまう「皆既日食」になります。遠い位置にあれば月が太陽よりも小さく見えるので太陽を隠しきれません。地球上で見る場所により今回のように太陽の大きい部分がリングのように見える「金環日食」になります。なお見る場所によっては月で太陽が一部しか隠れませんので「部分日食」になります。このように地球、月、太陽という3つの天体の奇跡と言って良い大きさ、距離、さらに地球の自転の回転軸が傾き、また月が地球を周回するときに円でなく楕円軌道など自然が与えてくれた奇跡というか恵みでこのような不思議な現象日食は年に2回が地球上の何処かで起こるのです。ただし金環や皆既日食になる地域はごく狭く、特に今回のように自宅にいながら見る事が出来るチャンスは皆無と言ってモ良いでしょう。

    日本の例 ここ関東地区内陸部では天気に恵まれ、一次雲が太陽にかかりましたが逆に雲がフィルタの役目をして専用の日食グラスがなくてもリングが見える事がありました。ただし太陽の光は強烈で裸眼で見た場合には眼に重い障害を起こす事があるため、必ず専門の日食グラスを用いて見るようにして下さい。この日食網膜症というのは晩年失明したガリレオ・ガリレイも発症したとされています。太陽の可視光線のうちの青色光が眼球の奥に到達して、網膜の神経細胞が傷つくことで発症します。子供は特に目の水晶体の透明度が大人より高く、青色光が奥まで届きやすいのです。代表的は症状は物が欠けたりゆがんで見えます。視力低下を引き起こすこともあるそうです。いずれにせよ折角の天体の自然がくれたショーを正しく見て楽しむようにしましょう。下の写真上側は雲間の金環日食...産経。下側は東京都三鷹市国立天文台撮影の金環日食

    雲間の金環日食
    金環日食


    将来の予定 金環日食前後 金環日食はそれほど珍しい現象ではないそうです。しかし限られた場所でしか見えないことです。今回リング状の太陽が見られたのは地球の約0.7%の領域でさらに当日の天候に左右されました。今回の金環日食は中国南部から日本を通り、アメリカ大陸までの地域で観測可能でした。但し日本国内であれば金環日食帯の通っていない地域でも太陽の約80%が欠ける部分日食を見る事が出来ました。上の右側の連続写真は今回の金環日食の前後(毎日jp)の物です。左の図は2050年までの日本近海での日食の例(毎日新聞5/22)です。2030年6月1日に北海道のほぼ全域で金環日食が観測できます。次に東京地区で見られるとすれば2312年4月8日と言われています(毎日新聞5月8日(火)宇宙ニュース抜粋)。

    独り言:何気なく起こっている自然現象はかなり奇跡に近い事が分かります。昨年の東日本大震災から1年2ヶ月が過ぎましたが、自然は大災害も恵みも与えてくれます。感謝し災害には教訓を残していかなければいけません。




    最終更新:2012年5月

    No.6 : 社会で生きていくための信頼
    2012年5月20日(日)毎日新聞新聞朝刊の時代の風「時間を金で買う時代だからこそ、買えぬ信頼を取り戻そう」との記事を見ました。京都大学の山極教授の原稿です。簡略ではまとめにくいのですが以下のようになると思います。
    時間は記憶により紡がれ、昔は距離は時間の関数だった。遠い距離を旅した記憶はかかった時間で表現され、記憶の中に時間とともにその間に出会った人々や風景が並びました。しかし今は移動の手段によっては距離は時間では測れなくなり、時間にかわり費用になってしまった。しかしこれは大きな勘違いで、お金は時間のように記憶では蓄積できない。また時間には決してお金に換算できない側面があtり、例えば子供の成長にお金は必要だが、成長にかかる時間を短縮は出来ない。そして時間を紡ぎだす記憶をお金に換算できない。社会で生きていくための信頼をお金で買えない理由がここにある。信頼は人間間に生じた優しい記憶で育てられ維持されるからである。信頼は互いに顔と顔を合わせ時間をかけて話をすることで得られる。この時間はお金では買えない。人間が発する声は身体と結ぶ着いている。しかし文字は言葉を身体から切り離し情報に変えてしまった。情報により効率化が重視されお金に結びついてしまった。ドイツの作家ミヒャエル・エンデ作「モモ」に出てくる時間どろぼうという言葉を知っている人も多いでしょう。そしてエンデの遺言にあったように「時間」を「お金」に変換する経済優先の社会でなく、モモが時間どろぼうから取り戻した人々の確かな信頼に基づく生きた時間(人との信頼関係を築く時間で、膨大な情報を読み発信するための時間ではない)を取り戻したいと思う。
    毎日新聞の本文のコピを見たい方はここをクリックして下さい。
    独り言:中学校の同級生で共にクラス委員をやった友達で、中学卒業時のアルバムに「信頼される人になりたい」と書き残した彼女がいました。今になってみるとそのよしこさんはモモちゃんだったかも。大変幸運なことに今でもお付き合いさせていただいてます。




    最終更新:2012年5月21日

    No.5 : エリザベス女王夫妻主催の昼食会、チャールズ皇太子夫妻主催の晩餐会に出席
    5月18日午後(日本時間18日夜)ロンドン郊外のウィンザー城で催されたエリザベス女王夫妻主催の昼食会に出席、同日夜(日本時間19日午前)バッキンガム宮殿で開かれたチャールズ皇太子夫妻主催の晩餐会に出席されました。

    ホテル出発前 昼食会前
    天皇、皇后両陛下は18日お昼前(日本時間18日夕方)、紺色スーツ姿の天皇と薄黄色の和服姿の皇后さまは共に車に乗り、宿泊先のホテルを出発し白バイに先導され、ロンドン郊外のウィンザー城で催されたエリザベス女王夫妻の昼食会に出席しました。ウィンザー城では「ワーテルローの間」で女王夫妻の出迎えを受けました。昼食会には欧州やアジアなど約30ヶ国の君主らが招待されました。同行している宮内庁の川島裕侍従長が夕方の記者会見で、ウィンザー城でのエリザベス女王夫妻主催の昼食会について説明しました。川島侍従長によリますと、会場の「聖ジョージ・ホール」には丸テーブルが用意され、天皇陛下は女王の隣に座り、皇后さまも同じテーブルだったそうです。さらに食事後の別室での懇談で、両陛下とウィリアム王子、キャサリン妃があいさつを交わす場面もあったそうです。天皇陛下は1953年の女王の戴冠式にも出席しており、女王と最も長く交流している招待客で、英国側は川島侍従長に「(天皇陛下が)ご病気でどうなるかと思っていたが、お元気にいらしていただいてうれしい」と話したということです。
    さらに同日の夜(日本時間19日午前)バッキンガム宮殿で開かれたチャールズ皇太子夫妻主催の晩餐会に出席しました。両陛下はグランドエントランスで皇太子夫妻の出迎えを受け、各国の元首らと食事を共にしたとのことです。
    上の写真はいずれも昼食会関係で左の写真はホテルを出る天皇、皇后両陛下...毎日JP。右の写真はエリザベス女王、エディンバラ公フィリップ殿下と挨拶する天皇、皇后両陛下...AP

    5月20日正午ごろ、英国を公式訪問していた天皇、皇后両陛下は政府専用機で羽田空港に到着、帰国しました。
    帰国 両陛下はタラップを降りる際に一礼、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻ら9人の皇族方のほか岡田副総理や宮内庁長官らが出迎えました。両陛下は一人一人に挨拶して車に乗り込み皇居・御所へ向かいました。写真は羽田空港につきタラップを降りる両陛下...毎日

    独り言:昼食会の詳細は明らかではありませんが、天皇、皇后両陛下は女王と同じテーブルでしかも女王の隣に天皇陛下が座したようです。うまく気持ちが言えたたでしょうか。なお東日本大震災で支援活動に尽力をつくした英国人との懇談で英語で一語一語ゆっくりと心を込めて挨拶をなさったそうですが、ここでもお礼が言えてよかったですね。




    最終更新:2012年5月16日

    No.4 : 天皇、皇后両陛下の訪英出発、エリザベス女王の即位60週年祝賀行事ご出席
    2012年5月16日(水)午前 天皇、皇后両陛下は政府専用機で羽田空港から英国ロンドンのヒースロー空港に向けて出発しました。エリザベス英国女王の即位60周年記念行事に招待されています。両陛下の訪英は2007年5月以来5年ぶり通産7回目の訪問とのことです。日本時間同日夜に無事に到着しました。 ご出発の両陛下 ご到着の両陛下 日本時間の16日(水)夜ロンドンに到着し、18日(金)エリザベス女王ご夫妻が住むウィンザー城で開く昼食会に出席します。両陛下を含む約30ヵ国の王族が招待されています。夜にはバッキンガム宮殿でチャールズ皇太子ご夫妻主催の晩餐会にも出席します。19日(土)まで滞在し、東日本大震災で被災地の支援にあたった英国の関係者や英国在住の日本人とも懇談し、20日(日)に帰国する予定です。
    写真はいずれも共同通信で、左は羽田空港をご出発の両陛下で、右はロンドン ヒールスロー空港にご到着の両陛下です。

    訪英に関して、2012年5月16日(水)毎日新聞朝刊余禄から
    日本のテレビの現場中継第1号は1953年3月30日のことだ。前年即位したエリザベス女王の戴冠式参列のためこの日横浜から渡英する皇太子、つまり今の天皇陛下の出発の模様が生中継された。10万人を超す人に見送られ初の外国訪問だった▲「夜更けて街を歩けば歩道の上はこよひを明かす人々にうまる」。その戴冠式前夜の歌だ。戦争の記憶が生々しい時代、複雑な対日感情がうず巻く英国だった。だが当時19才の陛下はエリザベス女王らの温かいおもてなしを受け、日本では味わえぬ自由も満喫された▲「陛下は非常に幸福な若者です。なぜなら私のような老人と違い、過ぎ去った過去を持たず明るい前途のみを持っておられるからです。我々は一致して殿下を歓迎します」。首相官邸の昼食会でこう述べたのは、先の大戦で英国を率いたチャーチル首相その人だった▲独立回復ほどない戦後の日本にとって新時代の国際親善のい扉を開いたこの訪英だ。それから60年近い歳月が流れ、エリザベス女王もすでに英国史上最高令の君主である。その在位60年を祝う昼食会に出席のため、天皇陛下は皇后さまと共にきょう英国に出発する▲昼食会に出る各国君主のうち、戴冠式にも参列したのはベルギー国王アルベール2世と天皇陛下だけという。冠動脈の手術後も、訪英に強い熱意を示されてきた陛下である。長きにわたるその国際親善の歩みの中でも女王との最初の語らいの思い出は特別に違いない▲「今頃はさぞ美しからむと折にふれ思い出づるはロンドンの初夏」は最初の訪英を詠んだお歌だ。59年前と変わらぬ美しい初夏が両陛下を待つ。2012.5.16
    独り言:陛下にとって多分1953年の戴冠式ご出席で英国に船で着いた当時が思い出された事でしょう。そして皇后様とのご出席は非常に大きな思い出をつくるに違いありません。今回は公式行事参列や東日本大震災のお礼と自由時間はとれませんが、英国を楽しみ旧交を暖め無事にお帰り下さい。




    最終更新:2012年5月

    No.3 : 今上天皇が皇太子の時1953(昭和28)年の訪英、エリザベス女王戴冠式出席
    2012年5月の英国エリザベス女王即位60周年祝賀行事に招待されていました。しかし天皇陛下は2月の心臓バイパス手術後、胸に水分がたまるなどしていましたが、4月以降順調に回復、同時に天皇陛下の参加に対する強い意欲で訪英が実現することになりました。5月16日(金)から5日間の日程で皇后様とともに公式訪問します。
    5月8日(火)正式に日本政府の閣議決定で天皇陛下の訪英が正式に決まり、11日(金)には訪英に対する天皇陛下の感想が公表されました。同時に毎日新聞13日(日)朝刊にて「60年の感謝を込めて...女王との絆深く」の天皇皇后両陛下の訪英に関して特集記事がもたれました。その一部をつづってみます。
    皇太子だった天皇陛下がエリザベス女王戴冠式出席のために英国を訪問したのは学習院大学の学生でまだ19歳の時でした。1953(昭和28)年3月に横浜港を客船で出発し、米国ハワイを経てサンフランシスコに着き、アメリカ大陸を横断、ニューヨークから客船でイギリスへ渡ったそうです。当時同行した毎日新聞記者の記事によりますと以下のようになっています。4月27日に英国入りした陛下は30日にチャーチル首相と懇談(写真1)。5月5日にバッキンガム宮殿で当時27歳のエリザベス女王と会見し、昭和天皇のメッセージをお伝えしたそうです。6月2日にウェストミンスター寺院で行われた戴冠式には陛下は燕尾服にシルクハットを持って参列(写真2)。6月6日には女王と一緒に競馬のダービーを見物(写真3)したそうです。当時は第二次世界大戦後のサンフランシスコ講和条約が発効し、日本が独立を回復してわずか1年のことで、若き皇太子の欧米訪問は日本の国際社会復帰のメッセージもこめられていたそうです。

    戴冠式 写真2:1953年6月2日ウェストミンスター寺院でのエリザベス女王戴冠式に参列の当時皇太子の陛下(手前中央)...毎日新聞

    ダービー見物 英国首相と 左の写真3:1953年6月6日エリザベス女王とダービー見物の陛下...共同


    右の写真1:1953年4月30日首相官邸で出迎えたチャーチル首相と握手の陛下...毎日新聞

    女王の東京でパレード 皇室と英王室との交流は143年前で1869(明治2)年アジア歴訪中に来日したビクトリア女王の第2王子エディンバラ公だったそうです。昭和天皇はやはり皇太子時代の1921(大正10)年に英国をはじめ欧州諸国を歴訪したとのこと。エリザベス女王の父のジョージ6世の戴冠式1937(昭和12)年には秩父の宮ご夫妻が出席しました。現在の皇太子さまも秋篠宮さまも共に約2年間オックスフォード大学に留学しています。一方、エリザベス女王ご夫妻の来日は1975(昭和50)年5月に実現し、5月7日から12日まで東京、京都、伊勢を訪問されたとの事。5月9日にはオープンカー(写真4)で都心約1.9kmをパレードし、英国大使館で行なわれた晩餐会では女王は陛下とダンスを披露したそうです。なお手術後3ヶ月での海外国訪問は宮内庁の苦渋の決断だったそうですが、天皇陛下の「長年親交のあるエリザベス女王を祝したい、という陛下の強い思いはずっと変わらなかった」そうです。
    なお1953(昭和28)年の戴冠式に出席し、今回の女王即位60周年の両行事にも出席するのは世界でも数少ないそうです。王室では当時19歳の天皇陛下とベルギー王室から当時18歳の現国王アルベール2世陛下だけとのことです。
    写真4:1975年5月9日都心をオープンカーでパレードするエリザベス女王とエディンバラ公フィリップ殿下...共同

    なお1953(昭和28)年の戴冠式に出席し、今回の女王即位60周年の両行事にも出席するのは世界でも数少ないそうです。王室では当時19歳の天皇陛下とベルギー王室から当時18歳の現国王アルベール2世陛下だけとのことです。
    ちなみに現在の写真ですが、下の写真左から写真5は5月1日お茶会に出席するエリザベス女王(86)とエディンバラ公フィリップ殿下...ロイター。真中の写真6は東日本大震災約1年後の5月12日JR仙台駅の天皇(78)、皇后両陛下...毎日新聞。右の写真7は2011年7月モナコ公国元首の結婚式でベルギー国王アルベール2世(77)とパオラ王妃

    イギリス女王、殿下 天皇、皇后両陛下 ベルギー国王、王妃

    独り言:「60年の感謝を込めて」という毎日新聞のタイトルはすごい。私たちの約40年はまだやっと子供から大人になるくらいかな。しかし世界の王家とでも言うのでしょうか、多分自国の政府に予算など決定され自分ではしたくても出来ないし、またそれを公言できない立場ですね。それに比して我が身は自分で決められるか(?)





    最終更新:2012年4月

    No.2 : 東京税関の事後調査について
    2012年4月3日(火)朝10時半に東京税関の調査部の方から電話があり、平成21年5月以降の貿易の3年間の事後調査をしたいのでご協力をお願いしたいとの電話を受けました。
    その後FAXをいただき訪問日時は4月24日(火)25日(水)の2日間で調査予定職員は2名で、会社概況、貿易・通関関係及び経理書類をご用意くださいとの要請でした。実は輸入商社の社員になってこの業界に入り40数年ですが、以前勤務していた工作機械の商社でしたら年商100億円を超えていましたから、たしか数回何か調査が業務部にあった事は聞いた事がありました。しかし創立10年未満で年商1億円にほど遠い弊社とはと思いましたが要請を受けました。
    弊社の業務は主にドイツやアメリカからの輸入ですが、製品によっては日本国内での修理ができず修繕輸出して同製品の再輸入があります。平成21年ですから2009年5月以降のファイルをちなみに目を通しましたら、昨年の東日本大震災直後の輸入1件に?が出てきました。とりあえず調査判断を仰ぐことにしました。調査初日朝10時過ぎにお2人の方がお見えになり、1室に書類他を用意しておきました。夕方若干質問を受けましたが、5時には2名の調査官の方はお帰りになりました。明日は1人とのことでした。翌朝10時過ぎにお見えになり、ほぼ午前中にて調査は終了しました。終わりに2点のご指摘を受けました。1点はやはり昨年の東日本大震災時の輸入の件でした。東京税関ですから当然税金に関するものと思っていましたら?の通りでした。通常弊社はメインの輸入は指定の輸入運送業者を使って通関業務をお願いしています。小物は必ず国際宅配便、例えばFedEx、DHL、TNTなどを使いそこで通関をお願いしています。修繕輸出に関してもそれ専門の通関業者経由で輸出し再輸入しています。ところが2011年3月11日の東日本最震災直後の福島原発のニュース以後、国際際宅配便はほぼ日本の関東以北は貨物の引受を中止しました。しかも弊社住所の郵便番号はブラックリスト入りです。弊社では3月末納入である官庁から受けていた製品があり、丁度出荷時期と重なってしまいました。ドイツのメーカもいろいろ探してくれてやっとドイツ郵便が荷物を引き受けてくれました。これが日本にきて郵便局からの配達で輸入消費税が徴収されませんでした。東京税関の調査官のお話ではこのような場合を"流れ郵便"といい郵便局に連絡といわれました。なお正式な連絡先は後日連絡してくれるとのことでした。もう1件は2009年5月以前のものですが、同じファイルにあった関係でチェックしたとのことで、実はドイツ人による日本での機械修理の部品の件でした。これはサービスエンジニアが日本へ入国する時に例えば工具などはカルネを使い無税持ち込み出来ますが、修理部品はエンジニアの申請がなければ輸入時に無税で日本に持ち込まれます。実はこの部品が使用され弊社が後日送金した件でした。調査官のお話では正式には税金を払って輸入し未使用部品は税金を戻してもらうのが正当な流れですと言われました。とりあえず今回は流れ郵便は上司の判断を聞き結果を連絡くださるとのことで1日半の調査は終了しました。
    後日調査官から連絡をいただき今回に限りこの流れ郵便は情状酌量しますが、次回からは関税・輸入消費税が課税されずに郵便物が到着した場合は、東京税関東京外郵出張所 TEL:03-5665-3755へ連絡とのご指示を受けました。もう1件はやはりエンジニアに申請してもらい課税して持ち込み、もし修理に使用しなかった場合に再輸出して税金の払い戻しを受けるようにとのご指示でした。本件は一度弊社でもドイツメーカと相談して決める必要があると結論を出しました。東京税関の調査官の方には遠路来ていただきご苦労様でした。
    独り言:東京近辺の中小の会社でやはり税金を払わないなどの違反貿易の会社があり調査しているとのことでした。まあ大きなお咎めがなく安心しました。ただ流れ郵便問題は簡単ですが、エンジニア携帯の修理部品は次回に修理要請をドイツのメーカに行なう場合に前もってどうするかの判断が迫られます。戻し税の手続きは教えていただきましたが、一筋縄ではなくチョット面倒ですが。良い経験でした。調査官様ご苦労様でした。




    最終更新:2012年3月

    No.1 : 昔の友人と会って思い出した事
    2012年3月23日(金)今回のドイツでの出張の最後の日、帰国はフランクフルト空港を同日20:25発のJAL 408便のため、ドイツ北の世界文化遺産の町リューベックを朝7時過ぎの電車で出発し、ハンブルクでICEに乗り替えゲッティンゲンに10時過ぎに着きました。イルゼさんが駅に迎えに来てくれ、お昼はギリシャレストランン"ポセイドン"にて、39年前に知り合ったハルトマンさんとローマンさんと一緒に楽しく昼食を取りました。

    旧友 旧友と私

    旧友3人 左の写真はレストラン"ポセイドン"前の旧友です。3人の方と知り合ったのは当時私が勤務していたドイツ製工作機械輸入商社の千代田機械貿易株式会社の出張で新しく測定機の子会社を創立する関係でその測定機の研修でハノーバ、ゲッティンゲン、エスリンゲンでの勉強をしている時でした。但しDr.ペルテン社のハルトマンさん(右上の写真)とは彼が1972年に一度日本にペルテン社粗さ計"ペルトメータ"と真円度真直度測定機"フォームテスタ"のアフターサービス目的で来日した時に一緒に日本国内のサービス旅行をしています。その頃Dr.ペルテンの日本代理店がなく丁度代理権を取った矢先で、全然サービスがなされておらず、代理店を始めるにあたり日本の顧客に一緒に訪問していろいろアフターサービスを行ないました。1973年の訪独では教わるよりもハノーバで週末に家族で歓待していただきました。ローマンさん(左上写真の左の人)はゲッティンゲンのファインプリューフ社で定寸装置"ミリピロート"につき学びました。同じく結婚したばかりの奥さまと当時の東独の境界近くやいろいろ近郷を案内していただきました。イルゼさん(左上写真の右の人)は同じくゲッティンゲンのファインプリューフ社で空気マイクロ"ミリプノイ"につきいろいろ学びました。また家族でのご招待も受けました。私も結婚直後の3ヶ月以上の長かった出張が楽しく過ごせたのは日本の会社とつながっていたハンブルクのドイツのエルコ社が日本から当時の山崎社長が訪独するたびに呼んでくれたのみならず、ハノーバやゲッティゲンで新しくお付き合いを始めたこれらの会社の現場の人たちの暖かい心遣いでした。特にハノーバのDr.ペルテン社では約3ヶ月弱現場で研修させていただいた関係で、現場へ出入り自由にさせていただいた当時の役員の方々やそのほか十人近くの人に親身にお世話になっています。そして今でもメィル等の連絡を取り合っている人もいます。なおイルゼさんは2008年11月に来日しています。
    実は当時の写真があります。下の写真です。左から1973年2月16日(金)ハルトマンご夫妻。1973年4月8日(日)ローマンご夫妻。イルゼさんは1973年の写真が見つからず1977年9月30日(金)イルゼご夫妻です。まだ皆若く上のレストラン前の3人のいぶし銀とは異なっていますが、非常に懐かしく楽しく良い思い出です。本当に有難うございました。
    旧友

    当時の出張で忘れてはいけない人々
    1973(昭和48)年の3ヶ月以上にわたる長期出張で直接に仕事でお世話になった人達以外にも忘れてはいけない人々がいます。 私が中学生の時、多分1958年頃に始めたドイツ人ペンパルのイルムトラウトのご家族です。ハノーバから東のブラウンシュバイク近郷に両親が住んでいて、2回ほど訪問しました。イルムトラウトは結婚してオーストリアのウィーンに住んでおり、両親と妹のブリギッタさんにいろいろ案内していただきました。そして出張の最後で千代田機械貿易と取引のあるヨーロッパのメーカ訪問で週末を利用しオーストリア ウィーンのイルムトラウトと家族とご主人の両親にもお会いしてきました。さすがにウィーンは世界の観光地だけあって見所が一杯でした。彼女の家に泊めていただき尽きぬ話をしてきました。なおイルムトラウト/ペータ・タッシェご夫妻は2001年10月に来日しています。
    写真左から2回目の訪問で1973年3月20日(土)イルムトラウトの両親と妹ブリギッタさん、1973年4月14日(土)イルムトラウトご主人と長男、同日ご主人ペータさんご両親とウィーンで

    ペンパルと家族


    ギーゼラ もう一人は旅行会社のギーゼラです。帰路のオープン航空券を面倒がらずにヨーロッパ各地のメーカを訪問する私の予定を適切に全て予約を取ってくれて、無事に日本へ帰ってきました。もちろんメーカが休みの週末利用でオーストリア ウィーンへの立ち寄りも予約してもらいました。右の写真は1973年ではなく、次のドイツ出張第2回EMOハノーバ見本市視察とメーカ訪問の1977年9月28日(水)の時の写真で、その時も旅行のアドバイスやもろもろのお話をしてきました。楽しい思い出です。なおギーゼラ/ハッソ・ザイデルご夫妻は2010年10月に来日しています。
    独り言:2012年現在仕事仲間の3人は私同様結婚して40年を迎えようとしています。皆ゲッティンゲンあるいは近郷にに住んでいます。それぞれの奥様も元気で子供達も結婚して巣立っています。ウィーンのイルムトラウトはウィーン市内に住んでいる息子と娘の両方に孫ができおばあちゃんおじいちゃんとして忙しい日々を送っています。ギーゼラも2人の息子がおり、長男は中国にて会社を経営し、次男は結婚してドイツに住んでいます。目を閉じると数十年の自分の人生と一緒に同じ時代を生きて、ほんの偶然で知り合った仲間との楽しい一時を思い出します。やはりそれだけ自分も年をとってきたということでしょう。でも悔いのない素晴らしい人生で、まだまだみんなと機会を見つけお会いできることを願う次第です。


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