アキ・アルテック株式会社外国から来日の方々


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2002年8月にアキ・アルテック株式会社を創立してから、お付き合いのドイツやアメリカの会社から時に応じて日本へ来てくれました。しかし対会社ではなく個人的なつながりの外人さんの来日も多々あります。このページでは主として個人的なつながりを外人さんの来日で扱います。

外国から来日の方々

  • No.7 : 2010年10月:40年来のドイツの友人ハッソ・ザイデル夫妻来日
  • No.6 : 2010年10月 番外:2001年10月 50数年来のウイーン在住のドイツの友人イルム/ペータ・タッシェ夫妻来日
  • No.5 : 2010年5月:Mahr社元ドイツの地区代理店ビーレフェールド夫妻来日
  • No.4 : 2009年10月:Q.P.T.社モリトアさん友人と空手修業で来日
  • No.3 : 2008年11月:元Mahr社Kappa社のイルゼさん日本でポルシェ購入で来日
  • No.2 : 2008年5月:Q.P.T.社モリトアさん知人ジルケさん来日
  • No.1 : 2006年4月:Q.P.T.社モリトアさん知人ジルケさん来日


  • 最終更新 : 2010年10月

    40年来のドイツの友人ハッソ・ザイデル夫妻来日

    正確には1973年1月16日(火)当時ドイツ製工作機械専門商社の千代田機械貿易株式会社(現:株式会社シーケービー)の社員でした。会社は工作機械だけでなく測定機部門にも進出することで、ドイツ精密測定機メーカであるカール・マール社(現;マール社)と提携し、まだカール・マールグループには入っていなかったドイツの粗さ計及び真円度計のメーカDr. Ing. ペルテン GmbHへ全機種に関して勉強研修するために3ヶ月以上の長期のドイツ出張でした。東京羽田国際空港から夜中の少し遅れの23:20発アンカレッジで給油経由の日本航空でハンブルク(ちなみに欧州路線はそれからかなり後になりモスクワ経由路線が始まり、今のヨーロッパ直航便が普通になりました)へ出発しました。ハンブルクには翌17日(水)現地時間08:05着でした。賞味16時間45分の長旅でした。
      下の写真左から川越市喜多院五百羅漢、東京銀座四丁目、浅草雷門
    Herr & Frau Seidel in Kawagoe Herr & Frau Seidel in Ginza Herr & Frau Seidel in Asakusa

    下の写真左から日光華厳の瀧前、日光東照宮門前
    Herr & Frau Seidel in Nikko-Kegon Fall Herr & Frau Seidel in Nikko-Yomeimon Gate 研修はハノーバーがほとんどでその他カール・マールグループのファインプリューフ社のゲッティンゲン、及びカール・マール社エスリンゲンでした。研修後に日本へ帰るときに、会社命令でヨーロッパでお付き合いの数社の会社を訪問する事になり、1973年4月13日(金)午後帰りのオープン航空チケットをペルテン社が当時あったハノーバ空港近くのランゲンハーゲン町の旅行会社で帰りの全航程を変更し予約してもらいました。実はそのお店で対応してくれたのが、Fräulein ギーゼラ・クローニングさん(現在のザイデル夫人、ギーゼラ・ザイデルさん)でした。その旅行ではそれきりでしたが、ハノーバ市にはそれ以後ペルテン社へ顧客と訪問したり、近くのPTB(ドイツ連邦物理工学研究所)の訪問、ハノーバ国際見本市等でよく訪れギーゼラさんにお会いするようになり、その後ギーゼラさんが結婚してからも家族ぐるみのお付き合いとして現在でも続いています。今回ザイデル家の息子さんが上海のドイツ系会社で勤務している関係で、そこに来ながら日本にも足をのばしてもらいました。




    最終更新 : 2010年10月

    番外:2001年10月 50数年来のウイーン在住のドイツの友人イルム/ペータ・タッシェ夫妻来日

    Herr & Frau Peter Taschee 小学校を卒業する年の1956年2月、イタリアのコルティナダンペッツォ冬季五輪で、アルペンスキー初の3冠(滑降、大回転、回転)に輝いたトニー・ザイラーさんについて当時はまだ何も知りませんでした。中学校に入って英語を習い始めて、当時中学校では外国の同じ生徒達とペンパルになるのがはやっておりました。私は同じ中学校を卒業した姉のアメリカのペンパルの弟とたどたどしい英語で文通を始めました。中学生の友人はドイツ人女子学生と文通を始めましたが、なかなか文がうまく書けずに実は彼女を紹介してもらい、この際だからアメリカの男性とドイツの女性との2人との文通を始めました。文通とはいえXmasや誕生日など年数回の手紙交換でした。1959年前出のトニー・ザイラさん主演の西ドイツ映画「黒い稲妻」と「白銀は招くよ」が公開された時に、ドイツの風光明媚に圧倒されさらにドイツを知りたくなり中学生の身分でラジオのドイツ語講座(講師の先生は当時ドイツ語といえば東京外語大の有名な藤田五郎教授)まで聞くようにドイツに凝ってしまいました。それがそのまま私の人生を決めたようなものでした。ドイツ人の彼女ともまたアメリカ人の彼とも文通は続き、1967年にはアメリカ人の彼は空軍兵役でアラスカとベトナムで勤務し、ベトナムの時には休暇を取り日本にも来てくれました。1968年アメリカ人の彼も結婚し、同年ドイツ人の彼女もオーストリア人と結構しウイーン市内にまず住みその後ウイーン郊外に住居を構えました。私は社会人になってから1972年3月最初の外国出張でアメリカへ行きロスアンジェルス郊外に住んでいる彼と家族及び両方の両親にも会ってきました。(なおアメリカへの出張は少なくアメリカ人トム君との連絡も途絶え気味になりましたが、2012年1月に彼が2011年11月に召されたことを彼の息子さんから教えていただきました。また彼の奥様もその前に召されたとのことでした。時間の過ぎ去る速さと悲しみがこみあげてきました。...2012年1月追記)1973年憧れのドイツ出張でドイツに住む彼女の両親と、さらにウイーンに行き彼女と旦那さん及びその両親に会う事ができました。月日が経ちましたが、文通は続きあるいは私の訪独でたまにウイーンに足をのばして訪問してきました。
    そして2001年10月彼女の方からアジア旅行は既に数回きていましたが、初めて日本に来てくれました。写真は夜銀座鳥ぎんでの夕食後にお店の前でとりました。写真左から家内、ペンパルの彼女イルムトラウトさん、旦那さんペータ・タッシェさん




    最終更新 : 2010年5月

    Mahr社元ドイツの地区代理店ビーレフェールド夫妻来日

    Herr & Frau Karl-Juergen Bielefeld 1970年代ドイツの精密測定機器メーカのカール・マール社オーナー故カール・マールさんに勧められて、千代田機械貿易株式会社(現:株式会社シーケービー)が精密測定機器専門の輸入子会社の株式会社千代田プレシジョンを創立したのが、1977年4月1日でした。粗さ計のペルテン社は既に1973年にカール・マールグループに入りそれ以降にカール・マールグループになった電子マイクロメータのファインプリューフ社の3社で現在のドイツのマール社の日本総代理店になりました。特にペルテン・ファインプリューフ社製品関係の世界代理店会議、あるいは国際見本市に筆者はたびたび訪独しました。その頃ドイツ ヴッパータル市でカール・マールグループのその地区代理店の会社を2代目として経営していたのが、カールユルゲン・ビーレフェールドさんでした。代理店会議や見本市でよくお会いして知り合いになりました。2002年ドイツ マール社が日本法人マール・ジャパンを設立と同時に私の方もドイツのマール社とは縁が切れてしまいました。ビレフェールドさんも今から8年前に退職したそうです。日本には5年前から従兄弟の方が日本のドイツ法人TÜVに勤務し横浜に住んでおり、今回の夫妻での来日となったそうです。夕方の数時間ですが横浜にてお会いして、お寿司を食べながら昔を語りました。ヴッパータル市はドイツでも日本人が多いデュッセルドルフ市から20kmしか離れていないので、次回ドイツへ来た時には必ず連絡して遊びにくるようにご招待を受けました。



    最終更新 : 2009年10月

    Q.P.T.社モリトアさん友人と空手修業で来日

    Herr Molitor & Freunde Herr Molitor & Freunde

    Frau Schmidt Q.P.T.社モリトアさんが彼のドイツでの空手仲間と2009年10月中旬に来日しました。東京三軒茶屋近くの道場で訓練し、途中三泊四日でさらに静岡県にて合宿とのことです。来日2日目に4人そろって川越へきました。必ず案内する喜多院の五百羅漢、博物館、蔵の町を散策して夜は日本式居酒屋で乾杯しました。上の写真左が五百羅漢と言われる500体以上の石の仏像があります。左からフリードリケさん、ヘルミさん、ゲルトさんとシュテファン・モリトアさんです。
    なお三泊四日の合宿中フリードリケさんはまだ新人のため合宿が許可されず、川越の私のところで泊まりました。フリードリケさんはスイスのノヴァルティス・ティーアゲズントハイトAG社に勤務で、1日目は日本のノヴァルティス日本支社を単独で訪問し社員と合流し、2日目は私と鎌倉へ大仏やお寺、神社を見物に行きよく歩きました。また3日目は自宅で読書や書道をして少しゆっくり過ごしました。ドイツで日本の柔道や空手が盛んとは聞いた事がありますが、このように身近の人が練習しているのを聞いて嬉しく思いました。




    最終更新 : 2008年11月

    元Mahr社Kappa社のイルゼさん日本でポルシェ購入で来日

    Herr Norbert Ilse ノルベルト・イルゼさんは私が1973年最初に出張で訪独した時のマール・グループのファインプリューフ社に勤めていました。そして彼からファインプリューフ社計測器のトレーニングを受けました。当時から彼はポルシェに乗っておりダンディな人でした。その後WIKA社Kappa社と移りましたが、今は独立して技術事務所を持っています。その彼が個人会社を作ってから、またクラシックカーに興味を抱きました。特に日本では高級外車のオーナーは一度好きな車を取得するとほとんど手放す事が無く、走行距離は少なくしかも修理などの履歴がはっきりしており、かつアメリカの中古車ですと速度計がマイル表示でドイツでも人気が無いそうです。インターネットの普及でグローバルになりドイツでも実物以外は全て確認できて、1985-89年のポルシェ911カレーラ3.2リッタを日本で探して購入しました。私はそのお手伝いをしました。
    Ilse und Porsche Dealer in Japan そして2008年11月来日しました。このポルシェを取り扱ったのが大阪府にあるAutoweg社でその輸出入及び通訳をジャパン・カーナイス社が引き受けてくれました。私はそのためただイルゼさんに付き合ってお話を聞くだけでした。実物、さらに詳細な整備ノート(日本語なので少しお手伝い)を見て実際に試乗させてもらい購入を即決しました。そして皆で但馬牛の素敵な歓迎夕食会をしました。でもこの時のビジネスが気に入り、後日同じAutoweg社から、今度は実物確認無しに中古のベンツ車も購入したと聞きました。




    最終更新 : 2008年5月

    Q.P.T.社モリトアさん知人ジルケさん来日

    2006年4月に来日したベルリン在住のジルケさんが日本へきました。私の時間の関係で今回は半日の東京見物でした。
    Histrical spots with Sike
    上の写真左から東京タワー、2006年と同じ皇居、皇居前広場の松




    最終更新 : 2006年4月

    Q.P.T.社モリトアさん知人ジルケさん来日

    ベルリン在住のジルケさんの職業は庭師で、とりわけ日本庭園に非常に興味があり、日本のあらゆる面..例えば風景、メンタリティ、お寺や神社、食事、古いものと新しいもの、それらが素晴らしくお互いに調和が取れていることに私は感銘しています.. しかし私は最初に古い伝統的なものに興味があると言わねばなりません.. 私はそこに非常な興奮を見つけます..とメイルを頂きました。
    Histrical spots with Sike
    上の写真左から皇居、東京駅、川越喜多院の庭(枯山水) Histrical spots with Sike
    上の写真左から鎌倉建長寺、鎌倉長谷寺の鯉の池、川越喜多院のつつじ Histrical spots with Sike
    上の写真左から東京都庁舎、夜の銀座4丁目交差点、浅草寺の五重塔、鎌倉の大仏 Sike with us
    上の写真左から川越時の鐘、自宅で茶道、チョット肥満の愛犬マロンと(重い!)、成田空港出発
    楽しい日本での時間を過ごせたことと思います。