ドイツ好き集まれ(第11号:ワールドカップ2006特集)


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仕事優先でこのコーナは現在更新さておりません。一度は最後の結果までまとめる予定でおります。

FIFA2006 Germany
ドイツの話題"ワールドカップ2006"
World Cup 2006 in Germany
  • World Cup 2006ドイツ大会の英語版ヤフーWorld Cupはここをクリックしてください。
  • No.8 : 予選(2005年6月上旬現在)
  • No.7 : 予選(2004年12月末現在)
  • No.6 : 本選試合予定表(2006年)
  • No.5 : ドイツ選抜W杯での全戦績
    本原稿は下記ドイツサッカー関連記事日本語版から感謝して一部抜粋しました。
    http://euronavi.net/de/index.htm
    2002年までのFIFAワールドカップ関連記事はヤフーWorld Cupを参照しています。
  • No.4 : ベッケンバウア組織委員会会長及びホストシティ(ドイツの12都市)
  • No.3 : 予選(2004年4月現在)
  • No.2 : FIFAランキング(2004年4月現在)
  • No.1 : 出場枠32ヶ国

    World Cup 2002 日韓大会
  • 詳細はここをクリックしてください。
    World Cup 2010 南アフリカ大会
  • 詳細はここをクリックしてください。


  • その他のサッカー情報は以下をご参照ください。

    2004年ユーロ ポルトガル大会はここをクリック
    2004年アジア杯中国大会はここをクリック
    2004年オリンピック アテネ(サッカー)はここをクリック



    第8号 : 予選(2005年6月上旬現在)

    各地域最終予選途中経過-2005年6月上旬現在

    (アジアサッカー連盟に関する記事)
    W杯2006年ドイツ本戦出場のアジア地域4.5チームのうち4チームが2005年6月8日の各試合で確定しました。
    グループAからサウジアラビアと韓国、グループBからイランと日本です。


    予選に関する既報(2005年5月9日現在)

    (アジアサッカー連盟に関する記事)
    日本は6月3日アウエーでバーレーン、6月8日アウエーで北朝鮮(ではなく、FIFAの5月9日の決定で開催地はタイ バンコックに決定しました。
    国際サッカー連盟(FIFA)2005年5月9日発表国際サッカー連盟(FIFA)は2005年5月9日に、第三国で無観客で行なうとしていた2006年W杯アジア最終予選の北朝鮮対日本の試合を、期限内に北朝鮮サッカー協会が上訴しなかったことで処分が確定し、6月8日にバンコク(タイ)で開催することを正式に決定と発表しました。
    国際サッカー連盟(FIFA)2005年4月29日発表国際サッカー連盟(FIFA)は2005年4月29日スイスのチューリヒで規律委員会を開き、2006年ワールドカップ(W杯)ドイツ大会アジア最終予選で観客が暴徒化した北朝鮮に対し、次のホーム試合であるB組第5戦6月8日の北朝鮮―日本戦の開催権を剥奪し、平壌ではなく第三国で観客なしによる試合開催を決めました。北朝鮮には罰金2万スイスフラン(約180万円)も科しました。FIFAから日本サッカー協会に4月29日深夜に連絡が入りました。審議対象は北朝鮮が2005年3月25日にバーレーンと、同じく30日にイランといずれも平壌で対戦した2試合で裁定がなされました。この裁定に対し北朝鮮は3日以内に異議を申し立てることができます。代替開催地はFIFAが今後決定しますが、マレーシアなど東南アジアが有力視されています。今回は負傷者が出なかったにもかかわらず、FIFAは安全を脅かす混乱を起こした開催国としての責任を重視し、日本サッカー協会も想定していなかった異例とも言える重い処分を下しました。特に金日成競技場で行われたイラン戦では試合終了間際、北朝鮮選手が相手ゴール前で倒れたプレーをめぐり、審判の判定を不服とする観客が瓶や缶を投げ込み試合が約10分間中断しました。混乱は試合後も続きイラン選手と審判団が約1時間競技場に閉じ込められました。


    第7号 : 予選(2004年12月末現在)

    (欧州サッカー連盟) ヨーロッパにおいては9月14日から欧州の最強クラブを決める「サッカー欧州チャンピオンズリーグ(通称:欧州CL)」の一次リーグが開幕します。8月25日まで行われた予選から16チームが勝ちあがり大会に出場する強豪32チームが決まりました。一次リーグと決勝トーナメントとホームとアウエイの長い戦いが始まり来年2005年5月25日トルコのイスタンプールで行われる決勝で欧州ナンバー1クラブが決まります。このためW杯の予選も9月4日からまだ始まったばかりでまだどのチームが生き残るかは分かりません。最終的には2005年10月12日まで予選の試合がある長丁場です。ドイツは2006年W杯の開催国で出場が既に認められていますが、ドイツファンとしては早めに世代交代を図って2006年自国のW杯には是非立派な成績をおさめてもらいたいものです。
    (アジアサッカー連盟) 2004年9月8日の試合で各グループもほぼ予選通過できそうなチームが絞られてきました。グループ3の日本でも12万人が入ったインドコルカタのソルトレイクスタジアムでのアウエイ戦に勝利し、次のオマーン戦でほぼ決着がつきます。インドでの試合でもやっと前半終了間際に得点でき本当に良かったと思いました。スタジアムの一角の日本人サポートとインドの日本人会の応援をのぞけば、ほぼ全員がインドの応援です。後半開始前にスタジアムが停電し約30分後半の開始時間が遅れましたが、後半はどうにかリズムを取り戻し最終的には4-0で勝利しました。

    各地区予選途中経過
    欧州サッカー連盟(UEFA)...参加国:51ヶ国、出場枠:14チーム
    開催国ドイツを除いた51ヶ国が8グループで2005年10月までかけてリーグ戦を行い、各グループの1位と成績の良かった2位2チームはW杯本大会に出場。その他の各グループ2位6チームはプレーオフを行い勝者3チームが出場権獲得
    下記は2004年12月末の結果です。
    1組 オランダ(勝点10得失点差7)、ルーマニア(勝点10得失点差5)、フィンランド(勝点9得失点差4)
    チェコ(勝点9得失点差4)、マケドニア(勝点4得失点差-1)、アンドラ(勝点3得失点差-9)
    アルメニア(勝点1得失点差-10)
    2組 ウクライナ(勝点11得失点差6)、デンマーク(勝点6失点差2)、トルコ(勝点6得失点差1)
    アルバニア(勝点6得失点差-2)、ギリシャ(勝点5得失点差1)、グルジア(勝点5得失点差0)
    カザフスタン(勝点0得失点差-8)
    3組 ポルトガル(勝点13得失点差17)、スロバキア(勝点10得失点差12)、ロシア(勝点7得失点差2)
    ラトビア(勝点7得失点差-2)、エストニア(勝点7得失点差-3)、リヒテンシュタイン(勝点4得失点差-6)
    ルクセンブルク(勝点0得失点差-20)
    4組 アイルランド(勝点8得失点差5)、フランス(勝点8得失点差4)、イスラエル(勝点8得失点差2)
    スイス(勝点5得失点差6)、キプロス(勝点1得失点差-7)、フェロー諸島(勝点1得失点差-10)
    5組 イタリア(勝点9得失点差2)、ノルウェー(勝点7得失点差3)、スロベニア(勝点7得失点差1)
    ベラルーシ(勝点4得失点差3)、スコットランド(勝点2得失点差-1)、モルドバ(勝点1得失点差-8)
    6組 イングランド(勝点10得失点差4)、ポーランド(勝点9得失点差5)、オーストリア(勝点5得失点差0)
    北アイルランド(勝点3得失点差-3)、ウェールズ(勝点2得失点差-3)
    アゼルバイジャン(勝点2得失点差-3)
    7組 セルビア・モンテネグロ(勝点10得失点差10)、リトアニア(勝点8得失点差5)
    スペイン(勝点5得失点差2)、ボスニア・ヘルツェゴビナ(勝点2得失点差0)
    ベルギー(勝点1得失点差-4)、サンマリノ(勝点0得失点差-13)
    8組 スウェーデン(勝点9得失点差12)、ブルガリア(勝点7得失点差5)、クロアチア(勝点7得失点差4)
    ハンガリー(勝点6得失点差-3)、アイスランド(勝点1得失点差-6)、マルタ(勝点1得失点差-12)
    アフリカサッカー連盟(CAF)...参加国:51ヶ国、出場枠:5チーム
    予備予選の勝利20チームとシード10チームの合計30チームが6チームずつ5グループに分かれ、2005年10月までかけてリーグ戦を行い、各グループの1位はW杯本大会に出場できます。下記は2004年12月末の結果です。
    1組 セネガル(勝点10得失点差4)、トーゴ(勝点10得失点差4)、ザンビア(勝点10得失点差2)
    コンゴ共和国(勝点6得失点差-1)、リベリア(勝点4得失点差-6)、マリ(勝点2得失点差-3)
    2組 南アフリカ(勝点9得失点差0)、ガーナ(勝点8得失点差4)
    コンゴ民主共和国(勝点8得失点差1)、カボベルデ諸島(勝点7得失点差-1)
    ブルキナファン(勝点6得失点差-1)、ウガンダ(勝点4得失点差-3)
    3組 コトジボアール(勝点12得失点差7)、リビア(勝点10得失点差3)、カメルーン(勝点8得失点差2)
    エジプト(勝点7得失点差2)、ペナン(勝点2得失点差-5)、スーダン(勝点2得失点差-9)
    4組 アンゴラ(勝点11得失点差3)、ナイジェリア(勝点10得失点差5)、ガボン(勝点6得失点差1)
    ジンバブエ(勝点5得失点差-2)、ルワンダ(勝点4得失点差-3)、アルジェリア(勝点3得失点差-4)
    5組 ギニア(勝点8得失点差4)、ボツワナ(勝点6得失点差-5)、ケニア(勝点6得失点差1)
    モロッコ(勝点6得失点差1)、チュニジア(勝点5得失点差2)、マラウイ(勝点3得失点差-3)
    アジアサッカー連盟(AFC)...参加国:39ヶ国、1次予選終了赤字国は最終予選へ、出場枠:4.5チーム
    最終予選組合せ
    グループ1...韓国、サウジアラビア、ウズベキスタン、クウェート
    グループ2...日本、イラン、バーレーン、北朝鮮
    ホームアンドアウエー方式で戦い、各グループ上位2チームがW杯本大会の出場権が獲得できます。日本は2005年2月9日ホームで北朝鮮、3月25日アウエーでイラン、3月30日はホームでバーレーン、6月3日アウエーでバーレーン、6月8日アウエーで北朝鮮、最終戦は8月17日ホームでのイラン戦となります。
    各グループの3位同士が2005年9月3日7日にプレーオフを行い、その勝者が北中米及びカリブ海地区から選出されたチームと2005年11月12日16日にプレーオフで出場権を争います。
    1組 イラン(勝点15得失点差18)、ヨルダン(勝点12得失点差4)、カタール(勝点9得失点差8)
    ラオス(勝点0得失点差-30)
    2組 ウズベキスタン(勝点16得失点差13)、イラク(勝点11得失点差10)、パルスチナ(勝点7得失点差0)
    台湾(勝点0得失点差-23)
    3組 日本(勝点18得失点差15)、オマーン(勝点10得失点差11)、インド(勝点4得失点差-16)
    シンガポール(勝点3得失点差-10)
    4組 クウェート(勝点15得失点差13)、中国(勝点15得失点差13)、香港(勝点6得失点差-10)
    マレーシア(勝点0得失点差-16)
    5組 北朝鮮(勝点11得失点差6)、UAE(勝点10得失点差0)、タイ(勝点7得失点差-1)
    イエメン(勝点5得失点差-5)
    6組 バーレーン(勝点14得失点差11)、シリア(勝点8得失点差0)、タジキスタン(勝点7得失点差-4)
    キルギス(勝点4得失点差-7)
    7組 韓国(勝点14得失点差7)、レバノン(勝点11得失点差6)、ベトナム(勝点4得失点差-4)
    モルディブ(勝点4得失点差-9)
    8組 サウジアラビア(勝点18得失点差13)、トルクメニスタン(勝点7得失点差-2)
    インドネシア(勝点7得失点差-4)、スリランカ(勝点2得失点差-7)
    オセアニアサッカー連盟(OFC)...参加国:12ヶ国、出場枠:0.5チーム
    第2ステージ上位2チーム(赤字国、オーストラリアとソロモン諸島)がホーム&アウエーのプレーオフを行い、勝者はさらに南米5位のチームと大陸間プレーオフを行う。これに勝てばW杯本大会に出場できます。なおプレーオフの日程は2004年12月末現在未定です。
    第2ステージ
    最終予選 オーストラリア(勝点13得失点差18)、ソロモン諸島(勝点10得失点差3)
    ニュージーランド(勝点9得失点差12)、フィジー(勝点4得失点差-7)
    タヒチ(勝点4得失点差-22)、バヌアツ(勝点3得失点差-4)
    第1ステージ
    1組 ソロモン諸島(勝点10得失点差13)、タヒチ(勝点8得失点差4)、ニューカレドニア(勝点7得失点差14)
    トンゴ(勝点3得失点差-15)、クック諸島(勝点0得失点差-16)
    1組 バヌアツ(勝点10得失点差14)、フィジー(勝点9得失点差14)、パプアニューギニア(勝点7得失点差11)
    サモア(勝点3得失点差-6)、米領サモア(勝点0得失点差-33)
    北中米カリブ海サッカー連盟(CONCACAF)...参加国:34ヶ国、出場枠:3.5チーム
    第2ステージ上位2チーム(赤字国)の計6チームで第3スタージに進みます。
    二次予選第2ステージ
    1組 米国(勝点12得失点差10)、パナマ(勝点8得失点差-3)、ジャマイカ(勝点7得失点差2)
    エルサルバドル(勝点4得失点差-9)
    2組 コスタリカ(勝点10得失点差4)、グアテマラ(勝点10得失点差-2)、ホンジュラス(勝点7得失点差2)
    カナダ(勝点5得失点差-4)
    3組 メキシコ(勝点18得失点差26)、トリニダード・トバコ(勝点12得失点差3)
    セントビンセント・グレナディン諸島(勝点6得失点差-7)
    セントクリストファー・ネピス(勝点0得失点差-22)
    二次予選第1ステージ
    勝者の
    12チーム
    が第2
    ステージへ
    米国(敗者:グレナダ)、エルサルバドル(敗者:バミューダ諸島)、ジャマイカ(敗者:ハイチ)
    パナマ(敗者:セントルシア)、コスタリカ(敗者:キューバ)、グアテマラ(敗者:スリナム)
    ホンジュラス(敗者:蘭領アンティル諸島)、カナダ(敗者:ベリーズ)、メキシコ(敗者:ドミニカ)
    セントクリストファー・ネピス(敗者:バルバドス)
    トリニダード・トバコ(敗者:ドミニカ共和国)
    セントビンセント・グレナディン諸島(敗者:ニカラグア)
    南米サッカー連盟(CONMEBOL)...参加国:10ヶ国、出場枠:4.5チーム
    10チームが総当りリーグ戦を2005年10月までかけて行い上位4チームがW杯本大会に出場します。なお5位のチームはオセアニア地区1位と大陸間プレーオフを行います。下記は2004年12月末の結果です。
    二次予選 アルゼンチン(勝点22得失点差10)、ブラジル(勝点20得失点差8)、パラグアイ(勝点16得失点差1)
    エクアドル(勝点16得失点差1)、ウルグアイ(勝点14得失点差-7)、コロンビア(勝点13得失点差1)
    ペルー(勝点13得失点差0)、チリ(勝点13得失点差-1)、ベネズエラ(勝点13得失点差-4)
    ボリビア(勝点10得失点差-9)


    第6号 : 本選試合予定表(2006年6月9日〜7月9日)

    出場国数32ヶ国は前回と同じで2002年のW杯と同じ形式、すなわち4チームずつ8グループのリーグ戦、そして各グループ上位2チーム計8チームによる決勝トーナメントでスケジュールが組まれます。開幕は2006年6月9日(金)にミュンヘンにて開催。これまでの慣例では開幕戦は前回優勝国による試合カードが組まれましたが、本大会より優勝国の予選免除措置が廃止され今のところ開幕カードは未定のままです。
    グループリーグは6月23日(金)までで、翌6月24日(土)からは決勝トーナメントがスタートし、7月9日(日)に首都ベルリンにて決勝が行なわれます。全64試合がドイツ単独開催ということで、ドイツ国内の12スタジアムにて行われます。メインとなるミュンヘン、ベルリン他、準決勝開催のドルトムントと3位決定戦開催のシュツットガルト、これら4都市では6試合が開催され、その他の8都市(フランクフルト、ゲルゼンキルヒェン、ハンブルク、ハノーバ、カイザースラウテルン、ケルン、ライプツィヒ、ニュルンベルク)ではそれぞれ5試合が行われます。

    ワールドカップ2006本選試合予定表


    第5号 : ドイツ選抜W杯での全戦績

    ドイツ選抜W杯での全戦績
    3度のW杯優勝、3度のW杯準優勝、2度のW杯3位、3度の欧州選手権優勝、2度の欧州選手権準優勝、1954年からのW杯連続出場、1972年からの欧州選手権連続出場...ドイツ代表栄光の歴史をW杯に限った範囲で全戦績を示します。
    (参考)国際サッカー連盟(FIFA: Federation Internationale de Football Association)は、1904年5月21日パリのフランス運動競技連合(Union Francaise de Sports Athletiques)の本部の奥で創設されました。FIFAは1909年までは欧州の協会だけで構成されていましたが、南アフリカが1909/1910年、アルゼンチンとチリが1912年、米国が1913年と欧州以外の海外の協会も加盟していきました。しかし第一次世界大戦(1914年)の勃発によって、FIFAの活動は大きな中断を余儀なくされました。それでも小規模なものであったとはいえ国際的関係が途切れることはありませんでした。オリンピックの反響から独自の世界選手権を開きたいというFlFAの願いはますます強いものになっていきました。執行委員会の提案を受けて1928年5月のFIFA総会はFIFAが主催する世界選手権の実施を決定しました。となれば開催国を決定する必要があり、ハンガリー、イタリア、オランダ、スペイン、スウェーデン、ウルグアイが候補に名乗りをあげました。ある理由があって最初からウルグアイが本命でした。1924年と1928年のオリンピックで2度優勝したウルグアイは1930年に独立100周年を盛大な規模で祝うことになっていたからで、最初のFIFA ワールドカップTMは、1930年7月18日ウルグアイ モンテビデオの100周年記念(センテナリオ)スタジアムで開幕し、世界のサッカーにとって新たな時代が始まりました。FIFAの歴史についての詳細はここをクリックしてください。
    1945年以前 〜 戦前のドイツ代表は 〜
    1934 Italy1938 French図面左は1934年イタリア大会で右は1938年フランス大会です。
    ドイツ代表が初めて代表レベルでの国際試合を行ったのは1908年のことでした。スイスで行われた文字通りの「フレンドリーマッチ」です。まだ代表監督はおらず、選手は協会が招待した選抜選手たちでした。この1908年04月05日のスイスにてのW杯ではないが代表レベルでの第1回国際試合は残念ながら 3 - 5 でスイス代表に破れました。
    その後、ドイツ代表はストックホルムやアムステルダムで開催されたオリンピックに参加しました。初めてワールドカップに参加したのは、1934年の第2回W杯イタリア大会で、この時3位の成績。続くフランス大会では、再試合の末、スイス代表に敗れ初戦で敗退しています。このころのドイツ代表は、ナチス政権のもとで占領地で国際試合を行ったり、オーストリアの選手を代表に選出するなど、ナチスのプロパガンダとして利用されていた側面もありました。そして第2次世界大戦の戦況の悪化の中12年間W杯は行われなくなりました。
    1934年第2回W杯イタリア大会 ..... 3位(参加32ヶ国で優勝はイタリア)
    予選ラウンド1934年05月27日 ○ 5 - 2 (H) vs ベルギー代表 (フィレンツェ)
    準々決勝1934年05月31日 ○ 2 - 1 (H) vs スウェーデン代表 (ミラン)
    準決勝予選1934年06月03日 × 1 - 3 (H) vs チェコ・スロヴァキア代表 (ローマ)
    3位決定戦1934年06月07日 ○ 3 - 2 (N) vs オーストリア代表 (ナポリ)
    1938年第3回W杯フランス大会 ..... 1回戦にて敗退(優勝はイタリア)
    決勝トーナメント1回戦1938年06月04日 △ 1 - 1 (N) vs スイス代表 (パリ)
    同上(再試合)1938年06月09日 × 2 - 4 (N) vs スイス代表 (パリ)
    1950年代 〜 戦後復興期の希望の光として 〜 
    1954 Switzerland1958 Sweden図面左は1954年スイス大会で右は1958年スウェデン大会です。
    1946年6月25日にルクセンブルグで第二次世界大戦後初めて開かれたFIFAの総会で1950年のブラジルでのW杯開催が決まりました。いったん予選通過を決めたチームが辞退したり、既に予選で敗退したチームが参加を認められたり、FIFAから裸足でのプレーを認められなかったインドが辞退したりで最終的な大会参加国はわずか13ヶ国とのことでした。優勝はウルグアイでリオ・デ・ジャネイロのマラカナスタジアムには17万4千人もの大観衆が集まり決勝戦でブラジルを応援しましたが、ブラジルは破れホームサポータの夢がうち砕かれました。さて敗戦国ドイツは東西に分割され、その西ドイツ代表による国際試合が再び行なわれたのは1950年でした。戦後復興で西ドイツ代表が始めて行なったその国際試合は1950年11月22日はドイツ南部の都市シュツットガルトにてスイス代表と戦い ○ 1 - 0 (H) で勝利を収めました。国際復帰してからわずかに4年後の1954年、W杯スイス大会にて奇跡の優勝を遂げました。戦後復興期において、この西ドイツ代表の活躍は、疲弊した西ドイツ国民に希望の光を与えるものでありました。
    1954年第5回W杯スイス大会 ..... 優勝(参加16ヶ国)
    グループリーグ1954年06月17日 ○ 4 - 1 (N) vs トルコ代表 (ベルン)
    グループリーグ1954年06月20日 × 3 - 8 (N) vs ハンガリー代表 (バーゼル)
    グループリーグ1954年06月23日 ○ 7 - 2 (N) vs トルコ代表 (チューリヒ)
    準々決勝1954年06月27日 ○ 2 - 0 (N) vs ユーゴスラヴィア代表 (ジュネーブ)
    準決勝1954年06月30日 ○ 6 - 1 (N) vs オーストリア代表 (バーゼル)
    決勝1954年07月04日 ○ 3 - 2 (N) vs ハンガリー代表 (ベルン)
    1958年第6回W杯スウェーデン大会 ..... 3位決定戦で敗退(予選参加55ヶ国で優勝はブラジル)
    グループリーグ1958年06月08日 ○ 3 - 1 (N) vs アルゼンチン代表 (マルメ)
    グループリーグ1958年06月11日 △ 2 - 2 (N) vs チェコ・スロヴァキア代表 (ヘルシンボリ)
    グループリーグ1958年06月15日 △ 2 - 2 (N) vs 北アイルランド代表 (マルメ)
    準々決勝1958年06月19日 ○ 1 - 0 (N) vs ユーゴスラヴィア代表 (マルメ)
    準決勝1958年06月24日 × 1 - 3 (A) vs スウェーデン代表 (イエテボリ)
    3位決定戦1958年06月28日 × 3 - 6 (N) vs フランス代表 (イエテボリ)
    1960年代 〜 1966年疑惑のウェンブリゴール 〜 
    1962 Chile1966 England図面左は1962年チルリ大会で右は1966年イングランド大会です。
    西ドイツ代表が再びワールドカップで優勝のチャンスを得たのは、1966年のイングランド大会でした。しかしサッカーの母国といわれるイングランドで、西ドイツは疑惑のゴールにより失点し、決勝で敗れるという屈辱を味わされました。サッカーにはつきもののホーム有利の判定に泣かされた西ドイツ代表と、判定に助けられての優勝で満足するイングランド。以後続くことになる両者のライバル関係はこの時に確立されたのです。
    (参考)ワールドカップ史上、ファンの間でも執行レベルでもこれほど物議をかもした出来事はおそらくないだろうと言われています。ドイツとの決勝でジェフ・ハーストが決めてクロスバーに跳ね返ったボールが本当にゴール・ラインを割っていたかどうかという点で、大きな論議を巻き起こしたゴールも含まれている。これはいまでもサポートの間で決着がついていないゴールシーンで、スコアを3対2としイングランドを優勝に導いたいわゆる「ウェンブリー・ゴール」です。その後1年間さまざまな新技術を利用して、ボールが本当にゴールラインを越えたのか(それとも越えなかったのか)を明白に証明しようという試みが続きました。ロシア人の線審の意見を聞いたあとゴールの判断を下したスイス人のゴットフリート・ディーンスト主審はいまでも世界中のサッカー・ファンの記憶に残っています。イングランドのファンには好ましい記憶として、また一方のドイツのファンにはあまり好ましくない記憶として……。
    1962年第7回W杯チリ大会 ..... 準々決勝にて敗退(予選参加56ヶ国で優勝はブラジル)
    グループリーグ1962年05月31日 △ 0 - 0 (N) vs イタリア代表 (サンチアゴ)
    グループリーグ1962年06月03日 ○ 2 - 1 (N) vs スイス代表 (サンチアゴ)
    グループリーグ1962年06月06日 ○ 2 - 0 (A) vs チリ代表 (サンチアゴ)
    準々決勝1962年06月10日 × 0 - 1 (N) vs ユーゴスラヴィア代表 (サンチアゴ)
    1966年第8回W杯イングランド大会 ..... 2位(予選参加70ヶ国で優勝はイングランド)
    グループリーグ1966年07月12日 ○ 5 - 0 (N) vs スイス代表 (シェフィールド)
    グループリーグ1966年07月16日 △ 0 - 0 (N) vs アルゼンチン代表 (バーミンガム)
    グループリーグ1966年07月20日 ○ 2 - 1 (N) vs スペイン代表 (バーミンガム)
    準々決勝1966年07月23日 ○ 4 - 0 (N) vs ウルグアイ代表 (シェフィールド)
    準決勝1966年07月25日 ○ 2 - 1 (N) vs ロシア代表 (リバプール)
    決勝1966年07月30日 × 2 - 4 (A) vs イングランド代表 (ロンドン)
    1970年代 〜 皇帝と自国開催で20年目の勝利 〜 
    1970 Mexico1974 West Germany1978 Argentina図面左からは1970年メキシコ大会、1974年西ドイツ大会、1978年アルゼンチン大会です。
    続く1970年のW杯メキシコ大会では、準々決勝でイングランドにリベンジを果たすも、20世紀の中でベストゲームの一つとして語りぐさになっている準決勝のイタリア戦にて死闘を繰り広げました。90分を経過しても1対1の同点で、その後の延長戦はリードしているチームが何度も入れ替わる神経戦となりサッカーの語り草となっています。フランツ・ベッケンバウアーは肩を脱臼し、三角巾で腕を吊るしながらもフィールドに残っていましたが、彼の勇気は実らず結局3-4でイタリアに敗れました。しかし3位決定戦で勝利し3位の成績を残しました。なお本大会からイエローカードとレッドカードが導入されました。
    そして1974年の自国開催のW杯。皇帝ベッケンバウアー率いる西ドイツ代表は、すでに1972年に欧州選手権を制しており有力な優勝候補の一つとしてこの舞台に立ちましたが、実は東ドイツも本大会には初参加していました。政治的仇敵で隣国でもある西ドイツに対する東ドイツの1対0の勝利は、どちらもすでに2次リーグへの進出を決めているためスポーツという面から見れば大きな意味がなかったかもしれませんが、感情面での影響は確実にありました。西ドイツは衝撃を受けキャプテンのフランツ・ベッケンバウアーはサッカー界では異例の手段で対応し、チームの緊急ミーティングを開きその後テレビに出演し動揺している国民に状況を説明したのです。これは明らかに成功で、とうとうホームスタジアムにて1954年W杯以来の20年ぶり2度目のW杯制覇を果たしました。ちなみに東ドイツは2次リーグ(1勝1敗1分)で敗退し決勝戦には残れませんでした。決勝ではクライフ率いるオランダ代表と対戦。これも今世紀を代表するベストゲームの一つでした。また前回W杯で3度目のFIFA ワールドカップ制覇(1958、1962、1970年)を成し遂げたブラジルによって永久保有されることになったジュール・ルメ杯から「FIFAワールドカップ」と呼ばれる新しい純金製の像に本大会から代わりました。さらに大会ルールも1次リーグのグループ戦に続いて決勝トーナメントを行う形式から、両方の段階をグループで戦う形式に変更されました。
    アルゼンチンで開催された1978年W杯は他に類を見ないほど混乱に満ちた大会でした。ビデラ将軍の全体主義支配と人権侵害に対する抗議から大会をボイコットすべきだという議論が前面に出て、サッカー自体は影が薄くなっていましたが、不参加を求める声が広がっていたにもかかわらず、最終的には世界のサッカー国のほとんどはすべてアルゼンチンに集まりました。しかし本大会では前回優勝の西ドイツは全く調子を取り戻さず敗退しました。
    1970年第9回W杯メキシコ大会 ..... 3位(予選参加75ヶ国で優勝はブラジル)
    グループリーグ1970年06月03日 ○ 2 - 1 (N) vs モロッコ代表 (レオン)
    グループリーグ1970年06月07日 ○ 5 - 2 (N) vs ブルガリア代表 (レオン)
    グループリーグ1970年06月10日 ○ 3 - 1 (N) vs ペルー代表 (レオン)
    準々決勝1970年06月14日 ○ 3 - 2 (N) vs イングランド代表 (レオン)
    準決勝1970年06月17日 × 3 - 4 (N) vs イタリア代表 (メキシコ・シティー)
    3位決定戦1970年06月20日 ○ 1 - 0 (N) vs ウルグアイ代表 (メキシコ・シティー)
    1974年第10回W杯西ドイツ大会 ..... 優勝(予選参加98ヶ国で実は東ドイツも参加)
    1次リーグ1974年06月14日 ○ 1 - 0 (H) vs チリ代表 (ベルリン)
    1次リーグ1974年06月18日 ○ 3 - 0 (H) vs オーストラリア代表 (ハンブルク)
    1次リーグ1974年06月22日 × 0 - 1 (H) vs 東ドイツ代表 (ハンブルク)
    2次リーグ1974年06月26日 ○ 2 - 0 (H) vs ユーゴスラヴィア代表 (デュッセルドルフ)
    2次リーグ1974年06月30日 ○ 4 - 2 (H) vs スウェーデン代表 (デュッセルドルフ)
    2次リーグ1974年07月03日 ○ 1 - 0 (H) vs ポーランド代表 (フランクフルト)
    決勝1974年07月07日 ○ 2 - 1 (H) vs オランダ代表 (ミュンヘン)
    1978年第11回W杯アルゼンチン大会 ..... 2次リーグで敗退(優勝はアルゼンチン)
    1次リーグ1978年06月01日 △ 0 - 0 (N) vs ポーランド代表 (ブエノスアイレス)
    1次リーグ1978年06月06日 ○ 6 - 0 (N) vs メキシコ代表 (コルドバ)
    1次リーグ1978年06月10日 △ 0 - 0 (N) vs チュニジア代表 (コルドバ)
    2次リーグ1978年06月14日 △ 0 - 0 (N) vs イタリア代表 (ブエノスアイレス)
    2次リーグ1978年06月18日 △ 2 - 2 (N) vs オランダ代表 (コルドバ)
    2次リーグ1978年06月21日 × 2 - 3 (N) vs オーストリア代表 (コルドバ)
    1980年代 〜 自国にて欧州選手権開催 〜 
    1982 Spain1986 Mexico図面左は1982年スペイン大会で右は1986年メキシコ大会です。
    西ドイツ代表は1980年代もその力を維持し続けました。1980年欧州選手権の優勝、1982年での準優勝はおの成果でした。さて1982年スペイン大会ではスペインは16チームから24チームに増えた出場チームをそれまでの大会と同様にホストする必要がありました。内訳は新しいルールに従いヨーロッパから13か国、南米から3か国、アフリカから2か国、アジア・オセアニアから2か国、北中米(CONCACAF)から2か国、これに開催国スペインと前回優勝国アルゼンチンが加えられ24ヶ国です。大会の形式にも変更が加えられ、1次リーグは4か国ずつ6つのグループで争われ、各グループの上位2チームが2次リーグに進み、2次リーグは3か国ずつ4グループに分かれ、各グループの1位チームだけがリーグ戦を通過し、最後に準決勝と決勝が行われるというものでした。西ドイツは2次リーグも突破しフランスと準決勝を戦いました。西ドイツがリトバルスキーのゴールでリードしたが、プラティニのペナルティー・キックでフランスが同点に追いつき、延長ではフランスが3対1でリードしましたが、西ドイツは猛反撃によって同点としPK戦の末勝利を手にしました。しかし決勝ではパオロ・ロッシのいるイタリアに敗退しました。
    1986年W杯は最初コロンビアが選ばれましたが開催を実行する力がないと訴えメキシコに決まりました。そのメキシコも大会前の大地震で2万人もの命が奪われ大会開催は不可能かと思われましたが、スタジアムは影響を受けなかったためそのまま準備が進められることになりました。今回も4年前のスペイン大会と同じ24チームでしたが、大会の形式は変更されました。すなわち1次リーグ後の試合はすべてトーナメント方式で行われました。西ドイツは準々決勝でメキシコと無得点の引き分けとなりましたがPK戦で勝ち、開催国メキシコの優勝の夢を打ち砕きました。また本大会はアルゼンチンのディエゴ・マラドーナの一人舞台でした。しかし唯一彼の素晴らしいプレーの中で疑惑の目が向けられたのは、準々決勝のイングランド戦で最初のゴールはハンドではないかという物議を巻き起こしましたが彼は「神の手」による得点と称しました。一方西ドイツは決勝の常連でありながら最後のステップでアルゼンチンにやぶれ2回連続の2位でした。なお西ドイツは1988年自国開催の欧州選手権にて準決勝まで進出しましたが、ライバルである隣国オランダ代表と対戦し、最強オレンジ軍団の前に1-2で敗れ、つねにその強さを国際舞台で発揮するも、1980年の欧州選手権以降、無冠のまま1990年をむかえることになりました。
    1982年第12回W杯スペイン大会 ..... 2位(優勝はイタリア)
    1次リーグ1982年06月16日 × 1 - 2 (N) vs アルジェリア代表 (ヒホン)
    1次リーグ1982年06月20日 ○ 4 - 1 (N) vs チリ代表 (ヒホン)
    1次リーグ1982年06月25日 ○ 1 - 0 (N) vs オーストリア代表 (ヒホン)
    2次リーグ1982年06月29日 △ 0 - 0 (N) vs イングランド代表 (マドリッド)
    2次リーグ1982年07月02日 ○ 2 - 1 (A) vs スペイン代表 (マドリッド)
    準決勝1982年07月08日 ○ 5 - 4 (N) vs フランス代表 (セビリア)
    1:1から延長戦に入り、延長後でも3:3でPK戦で5:4で勝利
    決勝1982年07月11日 × 1 - 3 (N) vs イタリア代表 (マドリッド)
    1986年第13回W杯メキシコ大会 ..... 2位(予選参加121ヶ国で優勝はアルゼンチン)
    グループリーグ1986年06月04日 △ 1 - 1 (N) vs ウルグアイ代表 (ケレタロ)
    グループリーグ1986年06月08日 ○ 2 - 1 (N) vs スコットランド代表 (ケレタロ)
    グループリーグ1986年06月13日 × 0 - 2 (N) vs デンマーク代表 (ケレタロ)
    決勝トーナメント1回戦1986年06月17日 ○ 1 - 0 (N) vs モロッコ代表 (モンテレイ)
    準々決勝1986年06月21日 ○ 4 - 1 (A) vs メキシコ代表 (モンテレイ)
    無得点の引き分けからPK戦で4:1で勝利
    準決勝1986年06月25日 ○ 2 - 0 (N) vs フランス代表 (グアダラハラ)
    決勝1986年06月29日 × 2 - 3 (N) vs アルゼンチン代表 (メキシコ・シティー)
    1990年代 〜 優勝そして世代交代の失敗で凋落 〜 
    1990 Italy1994 USA1998 French図面左からは1990年イタリア大会、1994年アメリカ大会、1998年フランス大会です。
    本大会は守りを固めた退屈な試合とPKによる勝利が多いという意見もありました。西ドイツとアルゼンチンとの決勝でもメキシコ人の主審が、ペナルティー・キックを西ドイツに与え(サポータの間で大きな論争を呼んだ)これが決勝点となりました。しかしドイツはユーゴスラビア(4対1)、オランダ(2対1)、チェコスロバキア(1対0)、イングランド(フルタイムで1対1、PK戦で4対3)を破っており、チャンピオンにふさわしいチームでした。1974年大会でキャプテンを務め、1984年から代表監督となった皇帝フランツ・ベンケンバウアーが率いるドイツは強い西ドイツ代表を維持するもタイトルには恵まれていませんでしたが、本大会ではマテウス、ブレーメ、フェラー、クリンスマン、コーラー、ヘスラーなどの逸材を揃え、ドイツに3度目の栄冠を獲得しFIFA ワールドカップで最も名誉ある国(3回優勝した国)として、イタリア、ブラジルに仲間入りしました。
    1990年東西ドイツの統一とともに、ドイツ代表にもザマーらの東ドイツ出身選手が加わりました。しかし、ベッケンバウアー勇退後の90年に代表監督に就任したフォクツのもとでは、世代交代が進まず1994年アメリカ大会では準々決勝で敗退しました。アメリカでの1ヶ月を超える激戦は、358万7,538人という記録的な大観衆の前で展開されましたが、FIFA ワールドカップを3度ずつ制しているブラジルとイタリアの決勝の顔合わせに、過去の決勝と同様のすばらしいゲームが期待されたが実際には重苦しい展開となり、フィジカルなプレーばかりで落胆の大きい試合になり、結局FIFA ワールドカップ決勝の歴史上初めてPK戦となりブラジルがW杯を4度制覇したはじめての国になりました。
    ドイツチームの高齢化が進む中、それでもフィジカルとゲルマン魂で何とかしようとするドイツが批判の対象となりましたが、1996年に欧州選手権を制したことがこうした世代交代の問題から批判の目を遠ざけてしまいました。そして1998年W杯にても新興クロアチア代表に準々決勝で敗退してフォクツは辞任、後任にはリベックが就任するもチームが再生することはありませんでした。さて1998年フランス大会ではそれまでは出場チーム数が24で、予選各組で3位であっても成績上位4チームが決勝トーナメントの16チームに入ることができましたが、32チームが64試合で争うことになり、1次リーグでは4チームごとの8グループに分かれこのような救済は不可能になりました。この大会では最初のグループ・リーグが生きるか死ぬかの戦いになり、そのため各チームは守備を固めるのではなく得点を挙げることに全力をあげ、最終的には64試合で171ゴールが記録されました。
    1990年第14回W杯イタリア大会 ..... 優勝(予選参加112ヶ国)
    グループリーグ1990年06月10日 ○ 4 - 1 (N) vs ユーゴスラヴィア代表 (ミラノ)
    グループリーグ1990年06月15日 ○ 5 - 1 (N) vs アラブ首長国連邦 (ミラノ)
    グループリーグ1990年06月19日 △ 1 - 1 (N) vs コロンビア代表 (ミラノ)
    決勝トーナメント1回戦1990年06月24日 ○ 2 - 1 (N) vs オランダ代表 (ミラノ)
    準々決勝1990年07月01日 ○ 1 - 0 (N) vs チェコ・スロヴァキア代表 (ミラノ)
    準決勝1990年07月04日 ○ 4 - 3 (N) vs イングランド代表 (トリノ)
    1:1の引き分けからPK戦4:3で勝利
    決勝1990年07月08日 ○ 1 - 0 (N) vs アルゼンチン代表 (ローマ)
    1990年10月3日の東西ドイツ統一後はドイツ代表に
    1994年第15回W杯アメリカ大会 ..... 準々決勝にて敗退(予選参加147ヶ国で優勝はブラジル)
    グループリーグ1994年06月17日 ○ 1 - 0 (N) vs ボリヴィア代表 (シカゴ)
    グループリーグ1994年06月21日 △ 1 - 1 (N) vs スペイン代表 (シカゴ)
    グループリーグ1994年06月27日 ○ 3 - 2 (N) vs 韓国代表 (ダラス)
    決勝トーナメント1回戦1994年07月02日 ○ 3 - 2 (N) vs ベルギー代表 (シカゴ)
    準々決勝1994年07月10日 × 1 - 2 (N) vs ブルガリア代表 (ニューヨーク)
    1998年第16回W杯フランス大会 ..... 準々決勝にて敗退(優勝はフランス)
    グループリーグ1998年06月15日 ○ 2 - 0 (N) vs 米国代表 (パリ)
    グループリーグ1998年06月21日 △ 2 - 2 (N) vs ユーゴスラヴィア代表 (ランス)
    グループリーグ1998年06月25日 ○ 2 - 0 (N) vs イラン代表 (モンペリエ)
    決勝トーナメント1回戦1998年06月29日 ○ 2 - 1 (N) vs メキシコ代表 (モンペリエ)
    準々決勝1998年07月04日 × 0 - 3 (N) vs クロアチア代表 (リヨン)
    2000年代 〜 強いドイツへの回帰なるか 〜 
    2002 Korea/Japan図は2002年日本韓国大会です。
    リベック率いるドイツ代表は、2000年欧州選手権を迎えたが大会前から既にチームは分解しており、1分2敗の最下位で1次リーグを敗退するという最悪の結果を残しました。もはや完全に崩壊したドイツ代表でしたが、リベックに代わって国民的な人気があるルディ・フェラーが後任の監督に就任。フェラーは、欧州選手権での選手の選出に基本的な問題はない、これに戦術理解を加えれば必ず元の強いドイツに蘇ると主張。彼らの潜在的な力が決して弱くないことを訴えました。その一方で、ダイスラー、バラック、ケールなどの若手を積極的に召集し世代交代を効果的に進めていった。その結果プレーオフとはいえ2002年W杯本大会への切符を確保しました。
    2002年 FIFA ワールドカップ日本・韓国の決勝トーナメントでは、1998年フランス大会と同じ32チームが64試合を戦い161ゴールが記録されました(フランス大会では171ゴール)。本大会のドイツ代表に関しては、今回の決勝戦は監督にとってもキャプテンにとっても歴史に名を刻む機会を逃した試合となりました。監督のルディ・フェラーは、もう1勝すればドイツのフランツ・ベッケンバウアー、ブラジルのマリオ・ザガロに続いて選手としても監督としてもFIFA ワールドカップ優勝を果たすわずか3人目の人物となるところでした。一方キャプテンでゴールキーパのオリバー・カーンは今大会決勝戦の前まで失点はわずか1だけでブラジルを完封していれば、大会最少失点の記録を更新することができました。6月30日ドイツのオリバー・カーンは1958〜1966年FIFAワールドカップで活躍したソビエトの名ゴールキーパー、故レフ・ヤシンを記念してその大会の最優秀ゴールキーパーに与えられるヤシン賞を受賞することになりました。なおW杯2002日本・韓国大会の決勝トーナメントの全成績はここをクリックしてください。
    現在ドイツ代表はその再生に着手したばかりでその再生の成否が2006年での自国開催での真価で問われます。
    2002年第17回W杯日本・韓国大会 ..... 2位(優勝はブラジル)
    グループリーグ2002年06月01日 ○ 8 - 0 (N) vs サウジアラビア代表 (札幌)
    グループリーグ2002年06月05日 △ 1 - 1 (N) vs アイルランド代表 (茨城)
    グループリーグ2002年06月11日 ○ 2 - 0 (N) vs カメルーン代表 (静岡)
    決勝トーナメント1回戦2002年06月15日 ○ 1 - 0 (N) vs パラグアイ代表 (韓国・西帰浦)
    準々決勝2002年06月21日 ○ 1 - 0 (N) vs アメリカ代表 (韓国・蔚山)
    準決勝2002年06月25日 ○ 1 - 0 (A) vs 韓国代表 (韓国・ソウル)
    決勝2002年06月30日 × 0 - 2 (N) vs ブラジル代表 (横浜)

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    なおヤフーWorld Cupには歴代W杯の沢山のフォトギャラリーも用意されてあります。


    第4号 : ベッケンバウア組織委員会会長及びホストシティ(ドイツの12都市)

    ワールドカップ2006 ベッケンバウア組織委員会会長
    President BeckenbauerFIFAワールドカップ2006の組織委員会会長にはフランツ・ベッケンバウア氏が就任しています。中年のサッカーファンにとっては1970年代に大活躍した忘れがたいドイツの名選手です。1970年W杯メキシコ大会では準決勝のイタリア戦で延長まで戦う死闘を繰り広げ、彼自身も肩を脱臼し三角巾で腕を吊るしながらもフィールドに残っていましたが、彼の勇気は実らず結局3-4でイタリアに敗れました。しかし3位決定戦で勝利し3位の成績を残しました。1972年第4回欧州選手権ベルギー大会でドイツを優勝に導き「皇帝」の名前がつけられました。そして1974年W杯西ドイツ大会では1954年以来のW杯20年ぶりの2度目の制覇を成し遂げ西ドイツを勝利へ導きました。1984年から1990年まで西ドイツの代表監督に就任しましたが、残念ながらいずれも大きな大会では優勝に恵まれませんでした。

    ワールドカップ2006 ホストシティ(ドイツの12都市)
    ワールドカップ2006年ドイツ本大会はドイツ国内12都市の12スタジアムで行なわれます。メイン会場と言うべき都市は開幕戦が行われ国際放送センターも設置されるミュンヘンと、決勝が行われるベルリンとなります。
    その他ドイツでもサッカーが盛んなノルトライン・ヴェストファーレン州では、ドルトムント、ゲルゼンキルヒェン、ケルンといった伝統的にサッカーが盛んな都市が会場となり、北ではハンブルクが、そして南西部ではカイザースラウテルンもホストシティです。ドイツの空の玄関口でありEUの金融の中心地であるフランクフルトもホストシティの一つです。また南の主要都市であるシュツットガルト、ドイツの真ん中にありシュレーダー首相のお膝元であるハノーバ、観光地としても名高いニュルンベルクもホストシティです。さらに旧東独地区からは唯一ライプツィヒが選ばれています。ライプツィヒはドイツサッカー協会誕生の地であり、東西ドイツ統一後の協会再統一もこの地が舞台となったというドイツサッカーの記念碑的都市でもあります。
    Berlin
    Berlin
    Dortmund
    Dortmunt
    Host Cities

    City (Stadim) Capacity

    Berlin (Olympiastadium) 76,000
    Dortmunt (Westfalenstadion) 60,000
    Frankfurt (Waldstadion) 48,000
    Gelsenkirchen (Arena AufSchalke) 52,000
    Hamburg (Stadion Hamburg) 50,000
    Hannover (Niedersachenstadion) 45,000
    Kaiserslautern (Frits-Walter-Stadion) 48,500
    Köln (Stadiun Köln) 45,000
    Leibzig (Zentralstadion) 44,000
    München (Stadion München) 66,000
    Nürnberg (Frankenstadion) 45,500
    Stuugart (Gottlieb-Daimler-Stadion) 60,000
    Frankfurt
    Frankfurt
    gelsenkirchen
    Gelsenkirchen
    Hamburg
    Hamburg
    Hannover
    Hannover
    Kaiserslautern
    Kaiserslautern
    Köln
    Köln
    Leibzig
    Leibzig
    München
    München
    Nürnberg
    Nürnberg
    Stuutgart
    Stuutgart


    第3号 : 予選

    各地区予選組合せと選考方法
    欧州サッカー連盟(UEFA)...参加国:51ヶ国、出場枠:14チーム
    選考方法開催国ドイツはW杯に無条件出場できます。ドイツを除いた51ヶ国で8グループを作り13の枠を争います。各グループ1位8ヶ国と各グループ2位の成績上位2チームの計10チームがW杯に出場。各グループ2位でW杯の選考にもれた残り6チームはプレーオフを行い勝者3チームがW杯出場します。
    日程2004年9月4日(土)〜2005年10月12日(水)
    プレイオフは2005年11月12日(土)16日(水)
    1組チェコ、オランダ、ルーマニア、フィンランド、マケドニア、アルメニア、アンドラ
    2組トルコ、デンマーク、ギリシャ、ウクライナ、グルジア、アルバニア、カザフスタン
    3組ポルトガル、ロシア、スロバキア、ラトビア、エストニア、リヒテンシュタイン、ルクセンブルク
    4組フランス、アイルランド、スイス、イスラエル、キプロス、フェロー諸島
    5組イタリア、スロベニア、スコットランド、ノルウェー、ベラルーシ、モルドバ
    6組イングランド、ポーランド、オーストリア、ウェールズ、北アイルランド、アゼルバイジャン
    7組スペイン、ベルギー、セルビア・モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、リトニア、サンマリノ
    8組スウェーデン、クロアチア、ブルガリア、アイスランド、ハンガリー、マルタ
    アフリカサッカー連盟(CAF)...参加国:51ヶ国、出場枠:5チーム
    選考方法2002年W杯の出場国5カ国、2003年6月付けのFIFAランキング上位4ヶ国、計9チームが予備予選を免除。予備予選は残る42ヶ国が、ホーム&アウエーの2回戦総当たりで争い、勝者21ヶ国が予選に進出。予選は6ヶ国、5グループに分かれてリーグ戦を行い各グループ1位通過国がW杯出場権を獲得します。予備予選はすでに2003年で終了し下記組合せで最終予選が行なわれます。
    予選に敗退した21ヶ国:エリトリア、ガンビア、ギニアビサウ、サントメ・プリンシベ、シエラレオネ、スワジランド、赤道ギニア、セイシェル、ソマリア、タンザニア、チャド、中央アフリカ(棄権)、ナミビア、ニジェール、ブルンジ、マダガスカル、マラウイ、モザンビーク、モーリシャス、モーリタニア、レソト(アイウエオ順)
    日程最終予選:2004年6月4日(金)〜2004年10月9日(土)
    1組セネガル、マリ、ザンビア、トーゴ、リベリア、コンゴ共和国
    2組南アフリカ、コンゴ民主共和国、ブルキナファン、ガーナ、ウガンダ、カボベルデ諸島
    3組カメルーン、エジプト、コトジボアール、リビア、スーダン、ペナン
    4組ナイジェリア、ジンバブエ、アルジェリア、アンゴラ、ガボン、ルワンダ
    5組チュニジア、モロッコ、ケニア、ギニア、マラウイ、ボツワナ
    アジアサッカー連盟(AFC)...参加国:39ヶ国、出場枠:4.5チーム
    選考方法予備予選は国際サッカー連盟(FIFA)ランキング下位14チームが2チームづつホーム&アウエーで対戦、各勝者7チームが、1次予選へ進出。予備予選に敗退した7ヶ国:アフガニスタン、ネパール(棄権)、パキスタン、バングラデシュ、マカオ、モンゴル、ラオス(アイウエオ順)
    1次予選はFIFAランキング上位25チームと、予備予選からの7チームを合わせた計32チームで争う、4チームずつ8組の32チームがホーム&アウエーの総当たり戦で争い、各組1位の計8チームが、最終予選へ進出。最終予選は4チーム2組が、ホーム&アウエーの総当たり戦を行い、各組2位まで、計4チームがW杯出場権を得ます。3位チーム同士の勝者は北中米カリブ海4位のチームとを行い勝者がW杯に出場できます。1次予選は開始されたばかりで最終予選についてはまだ未定です。
    日程1次予選:2004年2月18日(水)〜2004年11月17日(水)
    最終予選は未定
    1組イラン、ヨルダン、カタール、ラオス
    2組パレスチナ、ウズベキスタン、イラク、台湾
    3組日本、オマーン、インド、シンガポール
    4組中国、香港、クウェート、マレーシア
    5組UAE、タイ、北朝鮮、イエメン
    6組タジキスタン、バーレン、キルギスタン、シリア
    7組韓国、ベトナム、レバノン、モルディブ
    8組トルクメニスタン、サウジアラビア、スリランカ、インドネシア
    日本
    一次予選
    2004年02月18日(水):日本・埼玉スタジアム 日本1:0オマーン
    2004年03月30日(水) :シンガポール シンガポール1:2日本
    2004年06月09日(水) :日本・埼玉スタジアム 日本対インド
    2004年09月08日(水) :インド・カルカッタ インド対日本
    2004年10月13日(水) :オマーン・マスカット オマーン対日本
    2004年11月17日(水) : 日本・未定 日本対シンガポール
    オセアニアサッカー連盟(OFC)...参加国:12ヶ国、出場枠:0.5チーム
    選考方法下記一次予選ソロモンラウンド及びサモアラウンドの上位2チーム計4チームにオーストラリアとニュージーランドを加えた6チームで二次予選を行ないます。上位2チームで最終予選を行い勝者は南米5位のチームとプレイオフを行い勝者がW杯出場権を獲得します。
    日程未定
    1組タヒチ、ソロモン諸島、ニューカレドニア、トンガ、クック諸島
    2組フィジー、バヌアツ、パプアニューギニア、サモア、米領サモア
    北中米カリブ海サッカー連盟(CONCACAF)...参加国:34ヶ国、出場枠:3.5チーム
    選考方法一次予選はすでに終了し敗退した10チーム:アルバ、アンギラ、アンティグア・バーブーダ、英領バージン諸島、ガイアナ、ケイマン諸島、タークス&カイコス諸島、バハマ、米領バージン諸島、モンセラト(アイウエオ順)
    下記24チームで二次予選を行ないます。さらに勝者12チームで4ヶ国3グル−プのリーグ戦、各グループ2位までの6チームでリーグ戦を行い、上位3位までのチームがW杯出場で、4位のチームはアジア5位チームとプレイオフを行ない、勝者がW杯に出場できます。
    日程二次予選:2004年6月12日(土)〜2004年6月19日(土)
    2次予選
    参加国
    エルサルバドル対バミューダ諸島、カナダ対ベリーズ、グアテマラ対スリナム、グレナダ対米国、コスタリカ対キューバ、ジャマイカ対ハイチ、トリニダード・トバコ対ドミニカ共和国、ニカラグア対セントビンセント・グレナディン諸島、パナマ対セントルシア、バルバドス対セントクリストファー・ネピス、ホンジュラス対蘭領アンティル諸島、メキシコ対ドミニカ
    南米サッカー連盟(CONMEBOL)...参加国:10ヶ国、出場枠:4.5チーム
    選考方法2002年W杯覇者のブラジルを含めた10ヶ国が、ホーム&アウエーの2回戦総当たりで争い、上位4ヶ国がW杯出場権を獲得します。5位はオセアニア代表とプレーオフを行います。もう既に始まっています。
    日程二次予選:2003年9月6日(土)〜2005年10月12日(土)
    参加国アルゼンチン、ウルグアイ、エクアドル、コロンビア、チリ、パラグアイ、ブラジル、ベネズエラ、ペルー、ボリビア


    第2号 : FIFAランキング(2004年4月現在)

    最終のドイツ大会に参加できるのは32ヶ国と前回と同じで各地区の予選を勝ち抜いてその地区の出場枠に入らなければなりません。時にはFIFAランキングで対戦相手も決まります。ちなみに2004年4月現在ドイツは世界ランキング7位(欧州ランキング4位)、日本は世界ランキング26位(アジアランキング4位)です。

    FIFAサッカーランキング(世界及び地区別) 2004年4月現在



    第1号 : 出場枠32ヶ国

    ワールドカップ2006 出場枠32チーム
    サッカー連盟2006年2002年実績備考
    欧州サッカー連盟(UEFA)14.014.5開催国ドイツを含む
    アフリカサッカー連盟(CAF)55
    アジアサッカー連盟(AFC)4.54.5
    オセアニアサッカー連盟(OFC)0.50.5
    北中米カリブ海サッカー連盟(CONCACAF)3.53.0
    南米サッカー連盟(CONMEBOL)4.54.5

    ワールドカップ2006地図



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